十一時過ぎになって、面白かったといいながら、ミカコさんはほんの少し長くなった毛糸を丸めて小脇に抱え、玄関で下駄を履く。いつ帰るのかと訊かれたので、明日、と答えようとしたのに、決めていないといってしまった。じゃあもう少し遊んでもらうわといい残し、ミカコさんは玄関のドアを閉める。
なにをいっているんだろう、おれは。おかしなことになってきたぞ。居間と床の間の電気を消して二階へあがり、もう少しいると兄にメールすると、いるのはいいけど全部ちゃんとしてこいと返事がきた。毛布にくるまり、少しばかりもんもんとする。なにに対してもんもんとしているのか答えがでないので、岩本に電話をしてしまった。コピー機を売る営業マンの岩本は、居酒屋で飲んでいるらしくテンションの高い声を発する。変な女が遊びに来るというと、それはおまえ、おまえに気があるんだと岩本らしい単純な答えがかえってきた。
「そういうんじゃないけどさ。編み物とかしちゃったよおれ。どうしよう、わけわかんなくなってきた」
「なに甘酸っぱいことしてるんだよ。まあほら、おまえはちょっとだめな感じのオーラ出してるから、変な女とかのほうがうまくいくんじゃないか。マリちゃんみたいな正当派じゃないほうがさ」
痛いところをつく。
「しかしあっさり別れたよなあ、おまえら」
岩本の背後が騒がしくなってきたので、うまくやれよといわれて電話がきれた。うまくやれって、いったいなにをうまくやれっていうのだ。
電気を消してぎゅっと頭まで毛布を引っ張る。あっさり別れたかったわけではない。ただしかたがなかったのだ。別れたあとも、めそめそとマリに電話をかけてしまったことも二度ほどある。無言できったけれど、着信履歴に残っていたのか、もうほっといてくれと数日後にメールが届き、ほとほと自分に嫌気がさした。
仕事もうまくいかず、居候の身で金もない。マンガのネタなんて浮かばないし、先のことを考えたら不安で叫びたくなることもあるのに、それでも生きている。人生に意味はあると大友はいうけれど、それだけは納得できない。人生に意味なんかないし、ぼくの存在は無意味すぎる。
眠れなくなって、飛び起きて、家を飛び出し海岸まで走った。白っぽい光を放つ、点在しているさみしげな外灯。廃虚になった村を走っているような気分になってきて、妙に滅入る。海岸から見える海も空もどす黒く、利尻富士の輪郭すら見えない。流れ着いた木っ端や空き缶やプラスチック容器のゴミが散乱する砂浜に向かって歩いていると、海を見ている人影があった。暗闇に慣れた目に、男の輪郭が浮かんでくる。漁師だろうかと思って横から近づけば、眼鏡をかけた背の高い若い男で、両手に双眼鏡を持っていた。ぼくの気配に気づいた男が、振り返るとぼくを見つめる。ラフなポロシャツに、カーゴパンツ姿なので、旅行者とも思えない。
「もしかして」
男がいう。
「そうだよね。そうだそうだ」
ぼくが首を傾げると、男が微笑んでいった。
「おれ、先生になったんだよ」
ヤッチだった。
