Chapter.2 - 1

 山本喜代子は、三ヶ月間だけ島にいた。


 夏休みで、母は稚内の病院に入院していて、公務員の父が付き添いに出かけていたので、夏休みで帰省していた高校生の兄とぼくだけが家に残っていた。そんなある日、色鮮やかなプリントのトレーナーにジーンズといういでたちで、見たこともないブランドのスニーカーを履き、癖毛まじりの髪をアイドルみたいなショートカットにした女の子が村に現れたのだ。


 始終ジャージ姿の全校生徒が二十人の小学校で、三年生はぼくとヤッチとミチの三人だけ。ぼくらはよく、壊れた漁船に隠れて遊んだり、廃屋になっている小屋でエロ本を見つけてはしゃいだりして過ごしていた。そんな小さな村を、すらりとした体型の女の子がひとりで歩いているものだから、噂にならないわけがない。


 山本喜代子の母親は、もとは島の住人で、離婚してから都会で再婚し、また離婚して、最初の夫のもとへ子連れで戻ってきたのだと、ヤッチが家から情報を仕入れてくる。この最初の夫というのが、いまはもういないのだが、家の近所に住んでいる漁師で、ふだんは気弱で優しいくせに、酒を飲むと大声で暴れるというくせものだった。我が家にも意味もなく怒鳴り込んできたこともあって、そのたびに父になだめられ、なぜか泣きながら帰っていくという騒動を何度も巻き起こしていて、村では悪名高き男だったのだ。


 そういった複雑な環境に身をおくことになった山本喜代子は、格好に負けず劣らず、生意気だった。デパートがない、映画館も地下鉄も本屋さえないと、村をばかにして笑っているとミチに教えられる。


 学校には、ジャイアンみたいな六年生の女子がいて、やつに逆らうと痛い目に合うのは誰もが知っていることだったのに、転校生の喜代子がわかるわけもなく、夏休みの最終日、喜代子を呼び止めたジャイアンとその仲間たちが、グラウンドのすみにある砂場で、ぐるりと喜代子を取り囲んだ。その光景を、ぼくとヤッチとミチは、自転車にまたがったまま遠目で見ていた。耳をすませば、話している内容は聞こえてくる。ジャイアンがなにかいい、喜代子が鼻でふんと笑った。


「勇者だなあ」
 あたりくじつきのアイスを食べながら、ヤッチが坊主頭を撫でる。こわいこわいと三つ編みの髪を揺らしながらミチは震えていて、ぼくはただ口をぽかんと開けていることしかできなかった。


 喜代子はノートのようなものを、大事そうに小脇に抱えていて、ジャイアンがそれを取り上げ、乱暴にめくって一枚ちぎりとり、こなごなに破いてしまった。ああああとヤッチは目をぎゅうとつむり、ミチは見ていられないといったようすで、両手で顔をおおった。


 仲間の女子が、ちぎられた紙を砂場にぐりぐりと靴で埋めていく。なにすんのよ! と喜代子が殴りかかったものの空振りで、代わりにジャイアンに平手で頬を叩かれ、明日からあんたなんか無視だといい渡してしまった。


 ジャイアンとその御一行が、こちらに向かって来る前に、ぼくらは猛スピードで山道のほうへ逃げ込んだので、とばっちりを受けなくて済んだものの、急遽会議を開くはめに陥った。寺の裏手にある小川の河川に腰をおろし、やっかいなことになったとヤッチがいう。喜代子は同じクラスにやって来る。ぼくらも無視しなければ、ジャイアンにやられるに違いない。答えのでないまま解散し、家に戻ったものの、なぜかぼくは、ちぎられたノートには何が描いてあったのか、知りたくてしかたがなかった。


 兄の作ったまずいカレーを食べ終え、寝静まった深夜に懐中電灯を引っ張り出し、グラウンドまで突っ走る。真っ暗闇の細い道を走っていると、いましも一つ目小僧だとか、一本足の傘の妖怪だとかが、寺の墓場から集団でやって来る気がして、ひどい尿意をもよおす。やべえ、やべえとつぶやきながら、いったいなにをしてるんだろうと思いながら砂場に突進し、懐中電灯をあてて、砂まじりの紙をできるだけかき集めた。ジャージのポケットに無造作につっこみ、急いで来た道を戻る。


 それはある種の暗号解読を思わせた。これは暗号だ、とひとりごち、自室の机の前で腕を組む。そうして、ジグソーパズルのようにセロファンテープで紙を貼り合わせていく。ところどころに穴のあいた一枚の紙が仕上がったときに、それは鉛筆で描かれたマンガだと知った。


 ていねいにコマ割りされた、マンガのキスシーンだったのだ。