ブラウン管の明かりだけが、仄かに閉ざされた世界を映し出している。
緞帳のように分厚いカーテンが、南、西、それぞれの窓を塞ぎ、昼なお夜のように暗い部屋の中にあって今、唯一の光源となっている十四インチの小さなテレビ画面では、流行りの芸人が芸ともつかぬ茶番を繰り広げている。顔を紅潮させ、不必要なほどに怒鳴り声を上げて人々から笑いを取る彼らの姿は、さまざまな色の信号となり、光となり、映像となって部屋を照らし出す。
だが、そんな彼らの迫真の名演技も、ただ猥雑なものと断じたこの部屋の主によって、聴力の働くギリギリまで引き絞られた音声の下では、本当に誰かに踊らされている道化の茶番にしか映らない。その上さらに、室内に響くラジオの声がぶつかり合えば、その滑稽さはもはや救いようがない。
期待をしていたわけではない。そのつもりだった。だが少なからず、どこかで期待をしてしまっていたのだろう。そう自覚しているだけに、テレビの上に置かれた、デジタル時計が知らせる、日付変更まであと二時間を切ったという現実が、部屋の主である彼に、奇妙な焦燥感を抱かせていた。テレビを正面に横たわり、日課である一セット百五十回の腹筋運動の、三セット目を黙々と続けながら、上半身を折るたびに見えるブラウン管に、まだか、まだか、と問いかけている。
自分の行為に対し、望むような反応が返る世界であって欲しい。ノルマを終え、肺に大量に空気を入れながら彼は、伸ばした手でリモコンを操作し続けた。民放、衛星、NHK問わず、全ての局番を眺めては次へ、次へ、と回し続ける。今日という一日、それだけに終始してきた手は、もはや目を落とさずとも望みのチャンネルを開けるようになっていた。だがそれでも、彼の望んでいる情報を流している局番はどこにもない。テレビもラジオも流されるのは、先ほどまで画面を支配していたような愚かしい茶番か、高慢なまでに、さもその通り生きろと庶民を脅しては、荒稼ぎしているコメンテーター。もしくはお決まりのように禿げ上がった頭を下げる、汚職にまみれた会社役員の姿だった。
本当にそうなのか? 本当に何もないまま、終わらせるつもりなのか? わずかな期待が、一分一秒、確かな憎悪へと変貌してゆく。
テレビでは、新たな芸人の演目が流れ始めていた。小太りの相方を、その体格を指して罵倒している男。舞台の上でなければ傷つきかねない厳しい言葉さえも、ただの笑いへと変えている。そんな姿に、彼の憎悪はさらに加速する。無表情の顔に、次第に苦笑とも、嘲笑とも取ることのできる笑みが刻まれるようになった頃、時計は零時を告げた。結局、彼の望んだような放送は、一度もないままに。
笑みが、徐々に大きくなり、最後には腹を抱えて笑うほどになった。それは自身に向けて、そして世界へ向けて、あらゆる全てのものに対しての嘲笑だった。
もともと世界は、彼の生まれ育った国は、彼の知っている通りの形をしていたのだ。だが、そんなものに期待はしないと行動を起こし、その結果を待ち続けた今日という一日。それこそが、実際には誰かに期待をよせていた自分自身という人間の発露ではなかったのか。自分はそれほど難しいことを望んではいないはずだ。その希望に結果を返せぬ世界への、国家への、そしてわずかばかりでも期待をして待ち続けた弱々しい自分への、どうしようもない滑稽さを抑え切れずに漏らした、常識では考えられない大きな嘲笑だった。
どれほど笑い続けていただろうか。徐々に収束した笑い声が、完全に途切れてしばらくたった頃、立ち上がった闇の主は、部屋の窓へと歩み寄り、外界と七畳あまりの彼の世界を別つ漆黒のカーテンを、引き裂くように一思いに開いた。
外界から侵入した光が、部屋の中に蟠っていた闇を侵食し、溶かすように消してゆく。一瞬、目を塞ぎたくなるような、鋭い銀色を思わせる光。闇を照らし出したのは、天空から降り注がれる輝きだった。カーテンを開いた手の勢いをそのままに、窓も開け放った彼の視線は、その光を放つ天空の球体へと向けられていた。
圧倒されるような、満月だった。
その下ではあらゆる矛盾も、罪も、淀んだ闇さえも、無に帰する。そう思わせるに足る、超越的で神秘的な輝きだった。彼の鍛え上げられた裸の上半身に明暗を刻み、同時にその身体そのものを透過して、内奥全てまでを照らす幻覚を覚えさせる輝きは、この時、彼の中に結実し始めた仄暗い決意までも、確かに映し出していた。自ら意識してはいなかった、だが確かに固まりつつあったその意思を浮き彫りにし、そしてそれを選び取るように、彼は背中を押された気がしていた。
そうか。言葉にはせず、瞬間的に自身への納得に頷いた彼の顔には、十六歳を迎えたばかりの少年のものとは思えない、禍々しさを孕んだ笑みが表れていた。
澱んだ少年の目の端に、別種の光が差し込む。銀色の光に照らされながら浄化されきらない闇が蟠る部屋の隅。机の上でぼんやりとした明かりを灯すパソコンに、少年は吸い寄せられるように手を伸ばした。
