序・3

 倒れこむように腰を下ろし、礼服を完全に意識の外へ追いやった新藤は、それでもモノクロームの視線から逃げることはできなかった。あまりにも鮮明に蘇る友の写真。場違いなほど屈託に笑う写真。何も問いかけてこない写真。その壮絶な死に反する彼の姿ゆえ、新藤は彼の置かれた状況、その真相の全てを知りながら、手を差し伸べることができなかった自分を責めた。
 

 暗闇に逃げ込もうと瞼を閉じれば、その闇の中にまで、友の瞳が蘇った。おれに何が出来たと言うんだ、お前のように自分の意思にまっすぐ生きることも、そのために行動することも出来ず、ただ流されて生きて来たおれに、いったい何が。目を開き、言葉にはせず絶叫した新藤は、その時初めて、ある事実に気付いた。
 

 おれは部屋の明かりをつけただろうか?
 奇妙に明るい室内を見回し、新藤は天井を見上げた。思ったとおり明かりは消えたまま。ならば何の光なのか。その疑問が浮ぶ前に、そもそもにして書斎を満たしている光が、照明器具が生む光の質感とはまったく異なっていることに気付いた新藤は、照明に飛ばした視線をわずかにずらした。
 

 天井に口を開けた採光用の窓の向こうに、巨大な光体が見えた。それが即座に月だと判断するのが困難なほどの強烈な銀色の輝きは、書斎に落ちる宵闇を完全に押し退けていた。
 

 理由はわからない。ただ、その月を見上げた瞬間、新藤は直感的に、誰かに見られている感覚を意識した。それが闇に浮かび上がる友の視線を意識しすぎた結果なのか、自問しようとした時だった。奇妙に甲高い、間の抜けた機械音が書斎に響いた。
 

 身を震わせ、弾かれたように振り返ったのは、その音が机の上のパソコンからであることがすぐにわかったからだ。
 

 いつからか、常時電源を入れたままにしているようになったパソコンのキーボードに、新藤は手を伸ばす。触れると、スクリーンセーバーを何も設定していない真っ暗な画面からパソコンが立ち上がる。カリカリという機械音と共に、徐々にディスプレイが光を放ち始めた。
 

 まだ画面は完全な状態ではなかったが、新藤は光を取り戻しつつあるディスプレイを見、その表情を訝しげなものへと変えた。
 

 音の原因は、自動で立ち上がったチャットウィンドウだった。電源が入っているため、ログイン状態を保っているままになっているチャットは、一方的に話しかけて来ることが可能だった。だが、新藤が顔をしかめたのはそんなことではなく、入力、送信されて来た文章の、その上に表示された送信主の名前に見覚えがないことだった。
 

 登録制のフリーチャットとはいえ、こちらの承諾がない人間との会話はできない。こちらが承認していない人間から会話が飛んでくることなど、まずありえないなのだ。その事実を疑いながらも、新藤は続けてその名前の下に入力された言葉を読んだ。その表情が、さらに深く不審を示すまで、ものの数秒もかからなかった。


『ご友人の葬儀はいかがでしたか。心中をお察しします、一尉殿』


 自分が置かれている現実が理解できず、新藤は誰もいないとわかっていながら周囲を見回してしまっていた。葬儀に出席したばかりであることも、その葬儀が吉岡圭吾元三等陸佐のものであることも、そして吉岡と新藤に交友があったことも、自分の階級が一等陸尉であることもすべて、自分のことを知らなければ送信できない一文だった。


 これはなんだ、いったいどういう状況なんだ? うそ寒い感覚に、身体の芯にまとわりつく冷気を感じた新藤は、わずかに震える手をキーボードに伸ばそうとした。その間にも、新たな一文が入力される。


『陸自上層部の対応も、一尉殿には満足ゆくものではなかったでしょう。吉岡元三佐の尽力を無碍にし、追い込んでおきながら、あれでは......』


 葬儀場にいた誰かか? しかしこいつはなぜ、吉岡のことを知っている? 不審が疑心を呼び、新藤は言葉を発さずにはいられなくなっていた。代わりのように、キーボードに伸びた手が、すばやく言葉を打ち込んでいた。


『何者だ、お前は』


 叫び声の代わりにチャット画面にポップアップした文字に、何者かの返信はすばやかった。どこか演じているかのような印象はそのままに、続く言葉は送信されて来た。


『私ですか。私は』


 勿体つけるようにそこで文章を別けた画面が一瞬、天空から降り注ぐ銀色の輝きを受けて白く光った。