『そのための準備はすでに整っています、一尉殿』
今日で何度目だろうか。明かりの灯らない部屋の中、月光に照らされたディスプレイに、あの人物の言葉がポップアップした。
『聞かせてもらいたい』
返答にそう打ち込んだ新藤は、この日も反射的に周囲を見回していた。この人物が自分のフリーチャットに介入してきてすでに幾度目かの交信であったが、それでも新藤は危険を冒している自覚を失ってはいなかった。
この人物との間で、今日までネットを飛び交わされた言葉の数々は、第一級の思想犯にあたるはずだ。ある事件の一員として数えられていた自分のことを考えれば、以後の生活、行動はすべて、公安の自衛隊内監視班、いわゆるマルジと呼ばれるものたちから監視されているものと思って間違いない。このネット回線も完全な個人のプライバシーが保たれているとは言えないだろう。だが今日までそれらしい人物からの接触も、尋問を受けることも、まして身柄を拘束されることもない事実は、以前この人物が『言って』いた、新藤が監視対象にならない二つの理由を、現実のものと感じさせた。
『どんなことでも』
そう返信を寄越した人物は、交信が始まった当初、このチャットには危険性がないことを、そうだと断定できる二つの理由を示して説明した。
一つは、この人物が『裁定者』であること。
一つは、隊に対する新藤の『善行』。
後に知らされたこの人物の正体が、『裁定者』と自らを称した言葉に意味をつけ、危険性を廃する理由の一つとなりうることも分かったが、『裁定者』自身、もう一つの理由の方が強いと語り、そして新藤もその言葉を強烈な痛みと共に理解した。
『お前の目的は、なんなんだ』
親友と呼べた男の死。それを招いた自らの『善行』。隊に対する、とはよく言ったものだ、と新藤は『裁定者』の言葉を思い出し、口の端を歪めていた。
『私の目的ですか』
そのある一部のものに対する『善行』によって確約された安全の中で交わされる会話は、今全ての核心を迎えようとしていた。だが、出かかった答えを掴み、行動を起こす前に、新藤にはどうしても聞いておかねばならないことがあった。
意志の明瞭化。それは姿も見えない、声さえも聞こえない相手を信頼するために、どうしても必要なことだった。
『戦闘とは、自らの意思の達成を敵に強要することを目的とした実力行使だ。遊びではない』
思慮に捉われているのか、珍しくすぐには返信を寄越さない『裁定者』に、新藤は完璧なブラインドタッチで魔法のようにすばやく、滾った自らの意志を立てて続けに入力した。
『強要する意思も、強要を行使できるだけの覚悟もない人間に、武器を取る資格はない』
打ち込んで、この言葉は自分に向けた言葉でもあるのか、と思い当たった新藤は、ディスプレイに浮かび上がった自らの言葉を読み返した。『裁定者』から与えられたものを手にしようとしている自分には、強要するだけのはっきりとした意思があるのか。それを強いるだけの覚悟は確かにあるのか。この数週間、幾度となく繰り返して来た自問を思い浮かべ、軽く閉ざした瞼の裏、これまでと同じように、自ら命を絶った友の姿が浮かび上がると、新藤は自身の中に揺るがない青白い炎が灯るのを感じていた。
ある。確かにある。自分には、自分にしか強要することができない、絶対にして、確固たる意思がある。そうだろう、吉岡――。
