突入命令。犯人に要求を全て呑むように告げ、油断を誘った後、支援班が対象ビルへの電力供給を一時的にカット。同時に別小隊の隊員たちが裏手から陽動を行うその瞬間。突入のタイミングはそのように告げられた。
出動前のブリーフィング、また移動中の車内でも確認したビルの見取り図を頭に呼び起こし、亮は突入ポイントの選出に入っていった。
裏手を別小隊が陽動に使うのであれば、自分たちに任されるのは、正面からの突入。そして確実な敵の無力化と、人質の安全確保である。自分たちに突入命令が下った上での敵の無力化は、すなわち即時発砲、犯人の射殺も辞さない、ということを意味する。同じ警視庁にあっても、犯人の逮捕、拘束を最優先とする刑事部の特殊犯捜査係SITとは、根本的に異なる行動方針を持ち、発砲の独自判断権も与えられている我が身を痛感し、MP5Fを引き寄せた亮は、詰めかけた警察車両の間に身を潜める自分の部下たちの位置を確認する視線を飛ばした。
数台先の位置に潜んだ二人は、目標の正面玄関とは、目と鼻の位置にあった。向こうもこちらに気付いたのか、突入は我々から、と手信号を送ってきた。
瞬間、亮は躊躇した。自分と組んだもう一人があの位置まで出、四人で突入するよりも、まずはあの二人が突入し、後続して我々二人が飛び込んだほうが効率はいい。だが、最初の突入を任せるべきか、否か。すでに突入下命待機中である身に、悩む暇などないはずだったが、亮はしばらくの躊躇を、この時確かにしてしまった。
行くぞ、という川名の声が、再び無線から聞こえ、その声で思慮の檻から解き放たれた亮は思わず二人に、先行して突入せよ、というサインを返してしまっていた。
次の瞬間、まさにそれを待っていたかのように川名の怒号が耳朶を打った。亮の身体は反射的に動き、潜んでいた車の陰から身を起こすと、流れるような速さで車列の間を駆けた。
その前方で、正面玄関から建物内部へ侵入してゆく、先ほどの若い巡査たちの姿が見えた。自分もまだ十分に若いつもりではいるが、警察学校を出た直後の彼らとは、やはりどこか違う。あどけなさと、初々しさを湛えた表情を、ヘルメットのバイザーとマスクで覆った二人の後ろ姿が屋内に消え、響き始めた銃声に改めてその身を案じた亮は、一歩でも早くフォローを、と突入を急いだ。
身体が車両の並を抜け、歩道に位置する一段高いアスファルトに足をつけた、その瞬間。ふわっ、と自身の身体が浮き上がるように感じたのが、最初の感覚だった。
なに、と疑問を抱く間もなかった。気がつけば吹き飛ばされ、背後にあった車両のフロントガラスに、背中を叩き付けられていた亮には、ビル一階部分が突然弾け飛び、巨大な窓ガラスが強烈な炎と共に四散する様を確認することなど、できはしなかった。
「あれは、我々の慢心が呼んだ、不幸だった」
沈黙の中、亮が『あの事件』を思い出していることを察したのか、川名が言う。柔道、剣道、合気道、警察組織の中で学ぶあらゆる武術の高位段を有する、根っからの武闘派男のそれとは思えぬ声は、亮が先ほども感じた、萎縮したイメージそのままだった。
我々の慢心。
そう、あの事件は確かにそう言うこともできた。犯人グループの武装に、電気信管を突き刺したC‐4プラスティック爆弾がある事を見落とした支援班の不足。その報告のみに頼りきり、敵の装備を分析し切れなかった指揮班の不足。そして上がってきた情報を疑うこともなく突入指揮を行った指揮官の不足。それら全てを、突入班が受けたからこその結果とも言うことは確かにできた。事実、二人の警察特殊部隊員が殉職した責任として、小隊長の川名には隊長職剥奪の辞令が下ることに決まっていた。今、その巨体を珍しくも机に向けているのも、後任の小隊長への引継ぎ業務を取りまとめているために他ならない。
「だからこそ、お前のような人間は、この職に止まるべきじゃないのか? 慢心を正し、同じ過ちを犯さないためにも」
そう言った川名の言葉は、小隊長の言葉ではなく、川名個人の言葉のように聞こえた。自分と同じように、『あの事件』を思い出すたびに悩み、犠牲になった彼ら二人を思い出すたびに苦しんできた川名は、おそらくは残りたい、残って職務に尽くすことで、自らの過ちを正したいという気持ちをぶつけてきているように、亮には思えた。だがそう思う反面、その言葉が、その姿が、どこか萎縮して見えるのは、自分がお前と同じ立場だったら、おれも同じように辞表を書くだろうと、どこかで思ってしまっている川名の、隠しきれない不器用さであることもまた、亮は理解していた。
だからなのだろうか。川名はペンを取り、机の上に置かれた書類に目を落とし始めると、それきり言葉を続けることはしなかった。しばらくの沈黙が殺風景な部屋の中に流れ、亮が再び『あの事件』の記憶を呼び起こし始めた時だった。
「親父さんに似ているのだろうな」
ふいに、それまでとはまったく関係のない事を、書類に落とした視線はそのままで、川名が口にした。虚を突かれたこともあるが、なにより『親父』という言葉が、亮の心を強く揺さぶった。一瞬理解できない、といった表情をどうにか作ったが、川名は構わず「浩一郎さんだよ」と続けた。
「おれは浩一郎さんとは面識はない。が、機動隊内では、確かなあるべき見本として、今でも語られる方だ」
おれもその話を聞いてきた、と続けた川名は、絵本の鬼の面相に、満面の笑みを刻んでいた。
「似ている気がするよ。たぶんな。浩一郎さんもお前と同じように考えるだろう」
機動隊史上に名を残す英傑。その父と似ているという川名。そうだろうか。言われた言葉は自分にとって最大級の褒め言葉のはずだったが、今の亮にはその言葉を素直に受け取ることはできなかった。事件の記憶に半分以上捉われた思考は、「いいえ」と、やけに明瞭な声で答えていた。
「もし、自分が父に似ているのならば、あんな過ちはしないはずです」
まるで捨て台詞のようになってしまい、亮は顔をしかめた。こちらを思いやり、不器用で、無骨な上司が考えた、せめてもの言葉であったと理解したのは、言ってしまった後だった。それに気付いた瞬間、そんな思いやりを無碍にしてしまった自らに嫌悪し、どうしょうもない居場所のなさを感じた亮は、退出許可が下りる前に席を立った。
