「以上、報告終わります」
敬礼で締めくくった亮に、デスクの向こうで答礼した人物は、厳ついがどこか柔和な、ちょうど子供の読む絵本に出てくる鬼を想起させる顔をわずかに崩し、「ご苦労」と続けた。
Special Assault Team。その頭文字をとって『SAT』(サット)と呼ばれる日本警察の特殊部隊。その実働隊の実弾訓練は、陸上自衛隊の駐屯施設を借りて行うことがある。今日の実弾訓練も駐屯施設で行われ、その間は施設の一部借用を許される。SAT指揮班が借り受けた一室で、机を挟んで向き合った特殊急襲部隊第一小隊隊長、川名勲警部補は、答礼のため立ち上がった身を、再び椅子へと戻しながら、亮にも椅子を勧めた。元々報告だけで終わるはずはない、と考えていた亮は、さして疑問もなく自分の背後に置かれたパイプ椅子に腰かけた。
「辞表を、見させてもらった」
倉庫としてすら使われていない部屋には、自衛官曹士たちの部屋を支配する、二段ベッドもなければ、漂う人いきれの空気もない。まして幹部たちの部屋のように、国旗や師団旗で飾られているわけでもない。あるのは川名が向かう不必要なほどに大きい木製の机だけで、四方を覆う灰色の壁は、冷え冷えとした寂しささえ感じさせる。亮にはその余剰の空間と空気が、目の前の机とそれに向かう上司の姿を、普段の小隊長としての、威風堂々たる姿を押し込め、小さく感じさせているように思えた。それが川名の、目の前の部下にいったいどういった言葉をむけていいのか、内心で思い悩む、不器用な男の姿であることも、亮は理解しているつもりだった。
「......あの事件で、お前は為すべきことを為した。何度も言ってきたことだがな」
だから誰もお前を咎めるものはいなかったんだ、と川名が続ける言葉を、亮はすでに半分以上聞くことができていなかった。川名の語るであろう言葉をすでに予測して、その言葉から思い出される光景を描いて、熱を上げ始めていた頭が、『あの事件』と聞いた瞬間、身体そのものに変化を及ぼしていた。耳にはあの時の喧騒が聞こえ始め、続いてこの身をもって感じた灼熱、衝撃が、今また事実この場で体験しているかのように蘇る。心臓が激しく脈打つのを、亮は抑える事ができなかった。
お前一人が思い悩むことではない。『あの事件』の責任は、おれにある。川名は『あの事件』以来言ってきたように、今もそう言ってくれているようだったが、亮にはやはり、その言葉を頷くことはできなかった。「いえ」と口にし、感覚を自らに取り戻した亮は、やはり今までと同じ答えを、川名に向けていた。
「突入を二人に任せたのは、自分です。......あの二人が爆発に巻き込まれたのは、自分の責任です」
突入の指示は、確かに川名から出されたものだ。だが突入ポイントの選定、そして行動を取り仕切ったのは突入第一班、アルファチーム班長の自分に他ならない。
なぜあの時、自分が最初に踏み込まなかったのか。事件後、幾度となく思い起こした言葉を、同じく何度となく噛み切った下唇をかみ締めて、失われた元部下の巡査二人の笑顔と共に脳裏に描いた亮は、やはり同じようにそれきり、押し黙ってしまった。
『立て篭もり事件、最悪の結末』そんな見出しが各社新聞紙面の一面を席捲したのは、今から二ヶ月ほど前、クリスマスを間近に控えた十二月の半ばことだった。
時代錯誤とも思える大胆な手口で、正面から大手を振って東京、新宿にある大手銀行に押し入った強盗グループは、行員と客合わせて六人を人質に取り、篭城した。
その日、特殊急襲部隊で第一出動待機勤務となっていたのは川名の第一小隊だった。その第一小隊に加え、第二、第三小隊にも緊急の出動命令が下った。警視庁の膝元とも言える東京二十三区、それも都庁を置く区で起こった篭城事件だけに、本来テロ対策を主眼としている特殊急襲部隊に下されたその出動要請は、異例なほど早い対応と言えた。
SAT小隊は四つの班に分かれ、それぞれの役割を担うことで成り立っている。指揮班、狙撃班、支援班、そして亮が班長を勤める突入・制圧班。厳密には突入・制圧班は四人一組の二班、八人で構成されているため、亮はこのうちの一班、アルファチームの班長を任されていた。
アルファとブラボーの二班の分担は、ブラボーがバックアップにまわり、アルファが突入の口火を切る。突入の花形とも言える班を任された亮も、この事件に際して出動。黒い戦闘服に身を包み、ケブラー製のヘルメットを装着すると、犯人の立てこもるビルへ、停車車両や周囲の警察官にまぎれて忍び寄る影の一つとなった。
犯人グループは三人。いずれも武装はロシア辺りから流出した旧式のAK‐47マシンガンであることは、支援班の偵察、指揮班の分析からわかっていた。その武器を振り回して人質を取り、逃走用の車両と国外脱出用の飛行機の用意を解放の条件に上げている、とも報告にあった。
時代錯誤のようでいて、人命を尊重する以上、実際には最も効果を示す人質を取った立て篭もり。だがそれも、自分たちがいなければの話だ、と詰めかけた警視庁のパトカーの陰で内心に奮起した亮の耳に、ヘルメットに内蔵した無線を通して川名小隊長の声が響いたのは、その時だった。
