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    <title>あの夜の、月の清(さや)けさ</title>
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    <updated>2010-07-28T11:51:10Z</updated>
    <subtitle>「Read or Read」は、無料でご覧いただけるオリジナル小説サイトです。毎週更新、作家さんたちによるオリジナルオンライン小説をたくさん公開しています。</subtitle>
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    <title>３・９</title>
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    <published>2010-07-28T11:49:10Z</published>
    <updated>2010-07-28T11:51:10Z</updated>

    <summary>　おかしい。 　交信が始まり、計画の下準備が始まって以来、約束を違えたことない相...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://r-or-r.net/tukisaya/">
        <![CDATA[<p>　おかしい。</p>

<p><br />
　交信が始まり、計画の下準備が始まって以来、約束を違えたことない相手が今、約束通りの行動をしていな<br />
い。我々の関係が戦友ではなく、あくまで同盟ならばなおさら、口にしたことはいかなる場合でも優先して、<br />
正確に行われるべきことであると、相手もよく分かっているはずだ。それが互いの関係に信頼を築くことであ<br />
り、姿の見えない相手を信用できる唯一の術だと考えている新藤にとって、今の状況は耐え難い疑心に襲われ<br />
る時間だった。</p>

<p><br />
『セティ』は、彼の側での計画の進捗具合、つまり本日朝六時に米軍の戦術ネットを事前の進入でもぐりこま<br />
せたウィルスプログラムで遮断したのち、その情報を他国の武装勢力――米国によって、テロ支援国家と呼ば<br />
れている国々を含む――に流す作業の達成度を知らせるため、○三○○時に一度、メールを送ると『言って』<br />
いた。計画上にも組み込まれた定時連絡だったが、すでに十分を過ぎている。新藤の前に置かれたパソコンの<br />
ディスプレイには、メール着信を告げる文言が浮かび上がる気配すらなかった。</p>

<p><br />
『セティ』本人の居場所が露見し、世界のいずこかでその身を確保されてしまったのか。よからぬ想像が浮び<br />
、自分の握っている暗号がまったく意味を成さなくなる危惧が頭をもたげる。安居首相を含む計五人の要人を<br />
人質に取ってはいたが、中央指揮所に陣取る者たちが、いつ首相を『名誉ある死を選んだ英雄』として見切り<br />
を付け、鎮圧部隊を送り込んでくるともかぎらない。首相であっても代わりのきく政治屋程度にしか思ってい<br />
ない彼らならば、十分に考えられることであり、鎮圧部隊を送り込んでこられれば、弾薬等の補給線を持たな<br />
い自分たちでは長く持ちこたえることはできない。そのための切り札であり、そのための保険であった『セテ<br />
ィ』の存在だったのだが......</p>

<p><br />
「一尉、よろしいですか」</p>

<p><br />
　現状では十分に効果を示しているはずだ。だが『セティ』が捕らえられたと知り、切り札がただのハッタリ<br />
になり下がれば、計画は大きく傾く。</p>

<p><br />
　吉岡の遺志を世界に示すこともできなくなるかもしれない。大きく鎌首を持ち上げた疑念を杞憂に終われば<br />
いいが、となだめた新藤は、そこで声のした方へ視線を向けた。二時間ほど前に市ヶ谷の中央指揮所とやり取<br />
りをして以来、簡易指揮所としたこの部屋に詰め続けていた新藤は、画面を見やすくするために明かりを落と<br />
した薄暗い部屋の入口が開かれ、そこに二等陸士の階級を持つ迷彩服姿を見た。その顔に動揺の色を見て取っ<br />
た新藤は、無言で歩み寄る。さほど広くはない室内を、五歩で入口まで至った新藤は、若い陸士に言葉を促し<br />
た。</p>

<p><br />
「安居総理が面会を申し出ています。新藤一尉に、とのことですが......」</p>

<p><br />
　言われて目の前の陸士が、人質の見張りに立っていた者だと思い出した新藤は、次の瞬間、首相の真意を探<br />
る思考を動かしていた。</p>

<p><br />
　一国の首相としての使命感なのか。それとも利己的な命乞いか。はたまたもっと別の何かか。およそ考えら<br />
れるすべての可能性を頭の中に挙げ切った新藤は、会っておくべき、と判断した。陸士に頷くと、そのまま簡<br />
易指揮所を出た。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>３・８</title>
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    <published>2010-07-21T11:52:17Z</published>
    <updated>2010-07-21T12:26:20Z</updated>

    <summary>　怒りに震える亮の瞳と、冷徹な捜査官としての有紀の瞳が絡まる。有紀はこちらの怒り...</summary>
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        <![CDATA[<p>　怒りに震える亮の瞳と、冷徹な捜査官としての有紀の瞳が絡まる。有紀はこちらの怒りを十分に感じ取っている様子だったが、それでも言葉を止めようとはしなかった。</p>

<p><br />
「彼が重傷を負っていればいい、と言ったのよ」</p>

<p><br />
「お前......！」</p>

<p><br />
　反射的に持ち上がった銃口が、有紀の額に向いていた。もちろん明確な殺意に突き動かされたわけではない。ただそこまでしてでも彼女の口を塞ぎたいと思わせるだけの深刻さが、有紀の口調にはあった。</p>

<p><br />
　両の手で小銃を保持し、視線の延長上に筒先を置いた亮の瞳が、銃口を見つめて動かない有紀の瞳と再び向き合う。冥界へと直結している筒の中の闇を映す有紀の瞳には、先ほどまでの逡巡はなく、代わるように現れていたのは、意を決した硬質な光だった。</p>

<p><br />
「上でも言ったことだけど、あなたは自分の弟を過信しているのよ」</p>

<p><br />
「どういう意味だ......」</p>

<p><br />
　有紀の手が、そっと銃身に触れ、射線を逸らした。それを構え直して額に突きつける考えは浮かばなかった。動揺が亮の身体を蝕み、四肢が震え始めていた。</p>

<p><br />
「公安があなたの弟の監視を始めたのは、新藤一尉との接触が深まったからじゃない。それ以前から。彼は彼単体で、もっと以前から視察対象者として認定されていた」</p>

<p><br />
　言葉を言葉として認識できないことは、そう多くはない。まして自分も日常的に扱っている母国語で話されている会話が、まったく理解できないことなど、そうそうないことだ。だがこの時の亮は、有紀の言葉をまったく理解できなかった。</p>

<p><br />
　いや、おそらくすべて飲み込んでいた。理解していた。ただ、その言葉に対するいくつもの疑問が浮かび上がるその前に、有紀の言葉が語る事実を認めたくない思考が、亮の頭に鍵をかけ、一切理解させようとしていない。そんな感覚だった。</p>

<p><br />
「それに」と続ける有紀は、そんな亮の様子に構うことなく話し続ける。自分の言葉が相手にどれほどの衝撃を与えるのか、気付いていないわけではない。ただ、伝えきる、話しきる、という自分の決意に、彼女は徹しようとしているようだった。</p>

<p><br />
「あなたは聞いていなかったかもしれないけれど、新藤一尉は公邸を襲撃し、首相を人質にしただけではなく、もう一つ別の切り札を用意している。何かはわからないけれど、日本という国家そのものの命に関わる、と言ったそれが、あの『セティ』のことなのだとすれば、なおさらよかったと、私は思う」</p>

<p><br />
　セティ。新藤一派に加担している恐れのある国際テロリスト。姿なきサイバー犯罪の代表者。今なぜ、その名が有紀の口から吐き出されたのか。亮は理解できなかった。</p>

<p><br />
「なにを......言っている？」</p>

<p><br />
　どうにか搾り出すことのできた声は、何日も水分を取っていなかったかのように枯れていた。半分以上音にならなかった声を押し退けて、有紀が一歩、歩み寄る。瞳に光る輝きはただ冷たく、一切の迷いを消していた。</p>

<p><br />
「あなたの弟が、『セティ』かもしれない、と言っているのよ」</p>]]>
        
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    <title>３・７</title>
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    <published>2010-07-14T10:43:46Z</published>
    <updated>2010-07-14T10:44:59Z</updated>

    <summary>「これは......　すごいな」 　足を向けた階段は、真っ直ぐに二人を地下へと誘...</summary>
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        <![CDATA[<p>「これは......　すごいな」</p>

<p><br />
　足を向けた階段は、真っ直ぐに二人を地下へと誘った。人一人がやっと通れる程度の幅しかない、洞窟を思わせる窮屈さと圧迫感だったが、天井付近に列を作った蛍光管の明かりで、警視庁舎の中よりもむしろ明るい階段を降り切るには、かなりの時間がかかった。</p>

<p><br />
　階段の終わりが見え、潜り抜けた戸口の先で、突然視界が開けた。そのあまりの広大さに、亮は思わず感嘆を口に出していた。</p>

<p><br />
「この地下道は、退避用の通路ではあるけれど、同時に避難用の大規模シェルターでもあるのよ。一、二ヶ月ならば、ここで生活することもできる」</p>

<p><br />
　前を行く有紀が律儀に答えてくれた。床面から十メートル以上あろう高い天井と、その倍の二十メートル以上はある左右の壁までの幅。階段と異なる強い光は、ＬＥＤ灯だろうか。真昼のように明るい光の中に照らし出された空間は広く、亮はただ圧倒された。それは有紀の言うとおり、地下道というよりはシェルターを思わせる姿で、所々、壁に寄せて置かれた大型のコンテナは、それら非常時の備えと窺えた。これが首相官邸、市ヶ谷駐屯地、警察警視庁舎、そして他の脱出ルートへと、文字通り縦横無尽に延びているのだというのだから、驚く他ない。「消費税が上がるわけよね」と、愚痴とも冗談とも取れぬ言葉を吐き出した有紀に納得して、その隣に並んだ亮は、肩に背負った小銃をおろした。</p>

<p><br />
「この通路を真っ直ぐ行けば首相官邸。あのコンテナ横の道を抜けると、靖国神社の敷地内まで出ることができるようね」</p>

<p><br />
　何かの知識を思い起こしながら話している様子の有紀は、時折目を瞑りながら話している。その彼女を邪魔しないように、亮は最小限の動作で小銃の状態を確かめた。先ほどはその場の状況ですぐさま発砲をしたものの、考えてみれば特殊急襲隊にはないこの八十九式小銃を扱うのは、まったく初めての経験だった。まだ身の安全が確かめられない以上、その機能と利用の方法を十分に確認しておくべきだ。生存への本能とでも言える考えが、亮の中で無意識に働いていた。</p>

<p><br />
「弟さんのことだけど」</p>

<p><br />
　しゃがんで膝を付き、小銃を検める目を一心に注いでいたその背中に、有紀の、どこか神妙である声が降って来たのは、しばらく経ってからだった。弟、という単語に身体が跳ねるように反応し、鼓動が早くなる。銃身を握る手が微かに震え出すことまではっきりとわかりながら、亮はそれでも平静を装い、隣に立つ有紀の顔を見上げた。依然として瞳には、あの捜査官としての力強い輝きが宿っていたが、その奥に、なにやら言いよどむような、隠し、抑えきることのできない逡巡がたゆたっているのを、亮は見逃さなかった。</p>

<p><br />
「あれで、私はよかったように思う」</p>

<p><br />
　鼓膜を震わせ、脳髄までたどり着いた情報を、正確に処理することができない。確かに漂っていたはずの逡巡を押し退け、有紀が何を言ったのか、何を言いたいのか、まるでわからない。ただ全身が粟立ち、頭から猛烈な高温が抜け出ていくような錯覚が、亮の意識を支配した。</p>

<p><br />
　傷つき、死しているかも知れない弟の現状を容認した事実。そのことももちろんだが、それと同時に現れた、『裏切られた』と訴える自身の感情と身体反応を、『怒り』と呼ぶこともできず、呆然と有紀を見た亮は、つい数十分前、長い階段を降りながら見続けた有紀の背中を思い出していた。</p>

<p><br />
　あの背中にも、逡巡の気配はあった。それを自分の言葉が足りないばかりに、武装蜂起グループの中にいた弟と鉢合わせることになり、しかもあのような結果になってしまった。それが償う必要も、償いようもない罪悪感を抱いている有紀の、内心の人間味ある部分が現れているのだろう、と亮は勝手な理解していた。一方的な思い込みとはいえ、そう思うことで気が楽になった。罪の意識を共に感じてくれる誰かがいると思うだけで、全てではないにしろ、確かに胸のつかえが取れたように思った。それを裏切られた、などと感じることは、有紀からしてみれば言いがかりも甚だしい。</p>

<p><br />
　しかしそうとわかったとしても、亮は内から沸き上がる、いかんともしがたい熱量を抑えることはできなかった。「なんだと？」と問い返した声は低く、重く、地の底から這い上がってくる何者かを、言った亮自身にも想像させるほどの禍々しさだった。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>３・６</title>
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    <published>2010-07-07T11:36:37Z</published>
    <updated>2010-07-07T12:23:01Z</updated>

    <summary>「どういうことだ。分かるように報告してくれ」 　作戦の最中には、不測の事態が起こ...</summary>
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        <![CDATA[<p>「どういうことだ。分かるように報告してくれ」</p>

<p><br />
　作戦の最中には、不測の事態が起こるものだ。それはどんな作戦であっても、たとえ訓練レベルであっても<br />
起こりうる。だが今、ヘッドセットを通して飛び込んできた報告は、第一空挺団の一員として、過酷な訓練に<br />
明け暮れた新藤にも、動揺を隠しきれない内容だった。</p>

<p><br />
（警視、警察庁、両目標の制圧に成功。しかし反撃を受けて三人が負傷）</p>

<p><br />
　部隊の仲間が傷を負う。それは新藤にとって、自分の身を傷つけたに等しい苦痛を伴う衝撃だった。レンジ<br />
ャー課程に代表される過酷な訓練の中で生まれた連帯感、仲間意識というものがその想いを抱かせていたが、<br />
今、通信を取り合い、行動を共にしている者たちは、部隊の仲間以上に、自分の呼びかけに答え、吉岡の意思<br />
に答えて集った同志である。苦痛はこれまで味わったものの比ではなかった。新道は天井を仰いで目を閉じた<br />
。</p>

<p><br />
「......制圧には成功したんだな？」</p>

<p><br />
　かろうじて搾り出せたのは『急進派』首魁としての言葉で、新藤昌之という一人の人間の言葉ではなかった<br />
。徹しなければならない。遺志の、そして意志の達成のためには、作戦の円滑な遂行を優先する首魁に徹しな<br />
ければならない。そういう立場にいる自分を強烈に意識して、新藤はヘッドセットに返答を待った。しかし答<br />
えた通信は、誰も予期しなかった内容を含んでいた。</p>

<p><br />
（制圧には成功しました。しかしまだ抵抗を続けている者がいます。こちらの損害も、その者たちに負わされ<br />
ました。我々の武装を奪って、未だ建物の中を逃走しています）</p>

<p><br />
　甘く見ていた、のか。負傷者が出ることを予想していなかったわけではない。だが正直なところ、抵抗に転<br />
じることのできる相手の存在を、新藤は軽んじていた。夜間の強襲。それも完全武装した相手に突如として、<br />
理由も分からず撃たれる恐怖は、対象から冷静な判断力を奪い、持てる武器弾薬をまともに扱うことのできる<br />
人間などそうはいない。推測を信じ込んでいたわけではないが、そのように考えていた節があったことは事実<br />
だった。この首相官邸周囲を警護していた警視庁警備部機動隊がそうだったように。軽機関銃ＭＰ５等の特殊<br />
装備で配置された総理大臣官邸警備隊がそうだったように。</p>

<p><br />
「何者だ。敵の数は？」</p>

<p><br />
（わかりません。数は二人）</p>

<p><br />
　なおさら何者か、新藤には見当もつかなかった。よほど危機的状況に場慣れしているのか、こちらの装備を<br />
奪って武器とし、ゲリラ的に行動するため直接戦闘を避けて建物の中に紛れ込んだ、と見ることもできる相手<br />
の行動の冷静さに、新藤はひやりとするものを感じた。だがそれを表に出すことはしない。何があろうとも『<br />
徹する』意思を強く持ち、「増援をこちらから回す。狩り出せ」と硬い声をマイクロフォンに吹き込んで通信<br />
を終えた。</p>

<p><br />
　明らかに政府機関が鎮圧のために送り込んできた特殊部隊や編成チームなどではない。個人の意志で、個人<br />
が自らの生き残りをかけて行動している何者か。こちらが何を目的とし、どうして自分たちが襲われているの<br />
かもわからない相手が一人、二人いたところで、作戦に支障が出るとは思えない。だが、それでも、不測の要<br />
因は取り除いておくべきだ。そう判断した新藤の思考は、決して臆病ではない。ただひたすらに冷静で、冷徹<br />
な、智将のものだった。</p>

<p><br />
　通信回線を、別隊を任せた二尉の無線に向けて開いた新藤は、警視庁を押さえた分隊への合流を指揮した。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>３・５</title>
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    <published>2010-06-30T13:02:23Z</published>
    <updated>2010-06-30T13:07:19Z</updated>

    <summary>　そもそも、弟はあの夜を境にどう変わったか。自らの道を決め、自衛隊へ入った。一心...</summary>
    <author>
        <name>sethy</name>
        <uri>http://blog.goo.ne.jp/sethy</uri>
    </author>
    
        <category term="ch3" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://r-or-r.net/tukisaya/">
        <![CDATA[<p>　そもそも、弟はあの夜を境にどう変わったか。自らの道を決め、自衛隊へ入った。一心に勉強し、訓練に明</p>

<p>け暮れ、順調に昇進を続けている。では心は。人を恨み、憎み、妬み、呪った心は、その根本は、あの夜を境</p>

<p>に劇的に変化したのだろうか。だとすれば、何をきっかけに。自分と話すことを望み、やりたいことができた</p>

<p>と打ち明ける、ただそれだけのことでだろうか。<br />
　</p>

<p>　いや、それは違う。そもそも自分は弟と真正面から向き合えていない。亡者と化してなお兄を慕い、救いを</p>

<p>求めてきた弟を恐れ、当たり障りのない言葉で受け答え、最後には恐怖に屈して言葉を受け流した。あれでは</p>

<p>人は救えない。人一人が、救われるはずがない。</p>

<p><br />
　それを自分はずっと以前から知っていた。だからこそ、明が自ら決めた進路を両親に打ち明けたあの席で、</p>

<p>亮はなにひとつ言えずにいたのだ。自分は弟の表面から、あの亡霊の影が消えたことをよしとして、見て見ぬ</p>

<p>ふりをしてきただけだったのだ。弟は自ら立ち直ったのだ、と言い聞かせ、亡霊の、一切のものを映し出すこ</p>

<p>とのない瞳を恐れて、結局は一度として真摯に向き合い、手を取り合い、話し合おうとはせず、この歳までき</p>

<p>てしまったのだ。</p>

<p><br />
「思想、理想云々、あったものじゃなかったわ。もちろん、吉岡三佐の理想を実現するため、っていうお題目</p>

<p>は掲げていたけれど、あれはただの私怨集団。怨恨に根ざした犯罪よ」</p>

<p><br />
　どれほどすばらしい人間だったのかしらね、三佐は。さぞいい男だったんでしょうね。皮肉のつもりか、吐</p>

<p>き捨てるように言った有紀は相変わらず顔を上げることなく、キーの入力に集中している。ディスプレイのな</p>

<p>いキーボードでは、なにを入力しているのかはわからない。</p>

<p><br />
　私怨。亮は有紀が口にしたその言葉を引き寄せた。あの頃の弟も、周囲全てを恨む感覚に身を任せ、生き物</p>

<p>のように絡みついてくるその触手に捉われて、憎悪の淵へと引きずりこまれようとしていた。それはあの頃、</p>

<p>離れの扉の前に毎日欠かさず立っていた亮には分かる。だがそれが今もだとしたら。あの夜を境に、本当は何</p>

<p>も変わっていないのだとしたら。まったく別種の私怨であっても、身を焦がすものたちの中に、自分の居場所</p>

<p>を見出したのかもしれない。そんな想像が頭をもたげ、今、この場で、逃げることなく明と向き合いたい、そ</p>

<p>うすべきだ、と叫ぶ思考が爆発した。</p>

<p><br />
　だが、全てが手遅れだった。手榴弾が殺傷力を十分に示す距離で炸裂したはずのあの場所で、弟が無事だっ</p>

<p>たとは到底思えない。向き合うべきだった、なぜそうできなかったのか、と今更悔やんでも、取り返しのつか</p>

<p>ない多大な思いだけを残して、気が付けば兄と弟の間に設けられていた幕は、一度も開かれることなく終焉を</p>

<p>迎えてしまった。それも二度と取り返しの付かない形で。</p>

<p><br />
「......開いたわ」</p>

<p><br />
　がこん、という、どこか間の抜けた音が響いたのは、有紀の声に続いてすぐだった。見れば有紀の立つ左正</p>

<p>面、ただの鉄の壁だった部分にわずかな隙間が現れ、その向こうに空間があることを示す闇が覗いていた。</p>

<p><br />
「噂でもなんでも、こんな話を聞いたことがない？」</p>

<p><br />
　キーボードとの格闘を終えた有紀は、安堵するかのように大きく息を吐き、その安堵感の大きさからか、ど</p>

<p>こか場違いな陽気さで亮に話しかけてきた。</p>

<p><br />
「首相官邸を中心とした永田町の地下には、政府要人が緊急時の脱出用に掘られた地下道が、縦横無尽に広が</p>

<p>っている」</p>

<p><br />
　聞いたことはある。だが信じたことはない。それは職務上の知識として、与えられたことがないからだ。</p>

<p>　<br />
　確かに特殊急襲隊は政府要人を警護することを任務の中心には置いていない。『盾』と言うよりは、『矛』</p>

<p>と言うべき部隊だからだが、有事の際のことは全て知識として入れられているはずで、仮に大規模なテロがこ</p>

<p>の政府機関の集中する街を襲った場合、守られるべき人々が、どういった経路で脱出するのか、当然知識とし</p>

<p>て知っているべき内容だった。実際にはそういった知識も、現物も見せられたことのない亮は、その存在をど</p>

<p>ちらかといえば否定している人間だった。</p>

<p><br />
「ここがその入口。正確には出口。仮に官邸などが襲われたときには、警視・警察庁へ逃げ込むこともできる</p>

<p>ように、ここに出入り口が設けられている。もちろん、災害時等緊急の際に指揮を取る、中央指揮所がある自</p>

<p>衛隊の市ヶ谷駐屯地にも、この地下道は延びているわ」</p>

<p><br />
「あんた、なんでこんなところを知ってるんだ」</p>

<p><br />
　かすれた声を、どうにか喉から滑り出した。答えたほうがいい、と亮が思ったのは、有紀が自分の安堵感か</p>

<p>ら話しかけているだけではなく、こちらの様子を伺うつもりで言葉を投げていることに気付いたからだ。</p>

<p><br />
　自分より少し小さい背丈で、こちらを見上げる有紀の視線は、明らかに公安捜査員のそれだった。男と見ま</p>

<p>ごう鋭い視線を蘇らせた有紀はその目でこちらの今の心情を見抜こうとしているのか。「さあ。公安は、あら</p>

<p>ゆる情報を持っているものよ」と淡々と言ってのけて、キーボードから手を離した有紀は、亮の先に立って、</p>

<p>開いた扉の前に立った。</p>

<p><br />
　おそらくは何重ものセキュリティロックがされ、登録されている人間以外には容易に開くことのできないよ</p>

<p>うにされていたのだろう。それを無理やりにか、それとも公安に流れ込んできたという『知識』を暗記してい</p>

<p>たのか、十数分で解除してしまった有紀の手腕には言葉がない。男としては小柄な自分よりも遥かに小さいそ</p>

<p>の背中に、一体どんなものを背負っているのか、訊いてみたい思いがわずかに起き上がったが、その前に有紀</p>

<p>が足を踏み出していた。</p>

<p><br />
「重要施設を結んでいるだけではない。この地下道は純粋な脱出ルートとして、あらゆる場所に、極秘裏に抜</p>

<p>け出ることのできる出口を持っている。ここからなら、上の連中に見つからずに郊外へ脱出できるはずよ」</p>

<p><br />
　言いながら有紀は扉に手を掛けた。扉の開放に連動して、通路の明かりが灯る仕組みのようで、闇の消えた</p>

<p>扉の先には、さらに地下へと延びる階段の姿が見えた。</p>

<p><br />
「その、最初に思い付かなくて、ごめんなさい」</p>

<p><br />
　扉を開いた有紀は口早にそう言うと、すぐに階段へと足を運んで行ってしまった。こちらの様子を探るよう</p>

<p>な捜査員の目を思い出し、あれがもしかしたら、この女性にとっては心配や気遣いの視線だったのかもしれな</p>

<p>い、と亮は思い直した。弟と鉢合わせになってしまったこと、ああいう結果になってしまったこと、自分がこ</p>

<p>の通路の存在を早く気付いていれば、という後悔を感じ取った亮は、自らの痛みを共有してくれる存在を確か</p>

<p>にし、わずかながらでも胸の重みが軽減したように思えた。</p>

<p><br />
　先ほどまでよりも人の温かみを持った小さな背中に続いて、亮は脱出の希望を隠す地下へと降りた。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

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    <title>３・４</title>
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    <published>2010-06-23T12:06:42Z</published>
    <updated>2010-06-23T13:22:20Z</updated>

    <summary>「あれは、弟だったんだ」 　引きずられるに任せて走ってきたので、あれからどれぐら...</summary>
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        <name>sethy</name>
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        <![CDATA[<p>「あれは、弟だったんだ」</p>

<p><br />
　引きずられるに任せて走ってきたので、あれからどれぐらいの時間が経ったのか、ここがどこなのかもわからない。何度か会談を下った記憶はあるが、それすら定かではない。</p>

<p><br />
　だが今、壁に背を預け、ぐったりと座り込んだ亮には、そんなことはどうでもよかった。</p>

<p><br />
　自分に銃を向けた男は、間違いなく明だった。死そのものを表現した銃口の暗い闇を思い出し、その背後に、それ以上の暗い洞となってこちらを見据えた一対の瞳を思い出したとき、亮は、かつて同じ目をしていた弟を思い出した。同時に彼の想いを汲んでやれなかった自分の不甲斐なさも。</p>

<p><br />
　そして全ての想いが、爆発の轟音と閃光に吹き散らされる。弟の死、という、恐ろしい、だが避けがたい状況に自身の思考が至る前に首を振った亮は、逃げるように回顧の時間を断ち切って正面に視線を向けた。</p>

<p><br />
　ここへと導いた当の本人......有紀は今、亮が背を預けた壁とは反対側の壁に向かって、なにかを操作している。そこにはどうやらパソコンのキーボードに似た入力用端末があるようで、せわしなく上下する肩が、必死で何かを打ち込んでいることをこちらに知らせた。もちろん亮の言葉になにかを返す様子もなく、ただその作業を続ける有紀の背中を見た亮は、どうにかその部屋の外観を掴む目を周囲に向けることを思い付いた。</p>

<p><br />
　部屋の内部は一面鉄板に覆われていた。壁も床も天井も、全て鈍い鉛色の鉄板が覆う姿は、部屋の中、というよりは、コンテナの中に押し込まれたような圧迫感を与える。天井の中央に、どうにか一本灯る蛍光灯の明かりでも、六畳間程度の広さしかない室内は十分に明るかったが、視覚的にも、体感的にも、身体を包みこむ空気の冷たさまでは温めることはできていなかった。</p>

<p><br />
「間違いない、あれは弟だったんだ。あの迷彩服は」</p>

<p><br />
「あなた、本当に聞いていなかったの」</p>

<p><br />
　巨大な鉄の箱といった様子の内壁に触れた身体は冷たく、さらに空気そのものが屋外以上に冷え込んでいるように思える。自身の内側から這い上がるうそ寒さと一緒になって、冷気が全身を凍りつかせるのではないか、という想像に耐えかねた亮は、ひとまず立ち上がり、そこでこちらの独り言に答えた有紀の背中を再度見た。</p>

<p><br />
　まだ明から何も聞いていなかったのかを疑うのか。そう思わせる台詞を否定しようとして、有紀が左手に持った何かを振っている姿が目に入った。それが先ほど、敵から奪い取った無線機であることに亮が気付くのと、有紀が話し出すのはほぼ同時だった。</p>

<p><br />
「犯行声明。あいつらが何者で、何をしようとしているのか。組織の首魁、新藤一尉の言葉で政府に向けて語っていたものが、連中の間でも無線で流されていたのよ。とんだ亡霊を作り出したものね、自衛隊幹部も」</p>

<p><br />
　無線機を上着のポケットに戻し、有紀の手はまたキーボードの打ち込みに戻っていた。弟の姿を思うあまり、まったく聞いた覚えのない新藤の言葉も気になったが、それでも有紀が口にした『亡霊』という言葉が、ある像を結び、それはなぜか高校の頃、父の墓で見た、月を見上げる弟の姿になって亮の脳内に滞留した。頭を振ってその想像を追い散らそうとするが、まだあどけなさも残る弟の表情に穿たれた一対の闇と、先ほど自分に銃口を向けた瞳が正確に重なり合い、薄暗い力を持って、亮の頭の中に居座ろうとする。</p>

<p><br />
　そう、言うなればあれは亡霊だ。高宮明という一人の男の姿をした亡霊。あの日、あの夜、あの月に照らし出された弟の顔。そこに穿たれた暗い洞。両親の墓前に立った弟の姿は、他人を恨み、憎み、妬み、呪い、自らの世界に閉じこもり、そうした負の感情に引きずられるまま、生きながらにして亡者と化した何者かの姿に他ならなかった。</p>

<p><br />
　だが今朝、数年ぶりに顔を合わせた弟はそうではなかった。濃緑の制服に身を包み、亮が知る『高宮明』という、この世に唯一血を分けた弟の顔をしてそこにあった。その笑顔に、亡霊の影はなく、不出来な兄を諭し、一歩前へ踏み出す勇気を与え、その背中を優しく押してくれた。『明』は今、紛れもなく『明』だった。そのはずだ。<br />
　</p>

<p>　いや。</p>

<p><br />
　否定の言葉が浮んだ瞬間、亮には、銃を向ける迷彩服姿の弟に、別の像が重なって見えていた。</p>

<p><br />
　果たして今朝言葉を交わした明は、弟は、紛れもなく自分の知っている弟だったと言い切れるのか。次第に影を薄めてゆく迷彩服の像の代わりに、亮の思考を支配し始めたのは、別れ際、奇妙な質問を投げかけた弟の姿だった。目深に被った制帽の影で顔の上半分は見えず、そのとき何をどう考えていたのか、半分以上読み取れなかったあの姿。投げかけられた言葉。あれはあの夜の、月の下に現れた亡者のものではなかったか。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>３・３</title>
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    <published>2010-06-16T13:14:51Z</published>
    <updated>2010-06-16T13:20:48Z</updated>

    <summary>　亡霊か。山崎徳二統合幕僚長は、無線の声が消えた中央指揮所内を見渡し、代わりのよ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://r-or-r.net/tukisaya/">
        <![CDATA[<p>　亡霊か。山崎徳二統合幕僚長は、無線の声が消えた中央指揮所内を見渡し、代わりのように響き始めた、疑</p>

<p>心を満載した人々の声を聞いた。</p>

<p>　<br />
　長辺が六メートルの壁埋め込み型のディスプレイを有し、それを正面にして中心にコの字型の机が置かれて</p>

<p>いる。それを取り囲むのは無数の端末機器だ。うなりを上げる機器は日本を始め、世界各国の情報を引き受け</p>

<p>、整理する活動を絶えず続けていて、それを操るオペレーターたちも、両手では足りないほどの人数が動いて</p>

<p>いる。</p>

<p>　それだけの機材、人員があってなお、異常に感じるほどの余剰を持った指揮所の高い天井を見上げ、室内に</p>

<p>詰めた全ての人々の猜疑心が、実際の質量となって堆積し、自身に押し迫って来るのを山崎は感じた。</p>

<p><br />
「浅沼君。吉岡三佐は自殺と聞いたが......」</p>

<p><br />
　いえ、いや、はい、と、浅沼は白髪まじりの頭を向けるだけで、こちらに視線を向けようとはしない。それ</p>

<p>がなにより武装蜂起した新藤一尉の言葉に真実を与えているようで、山崎は自身の無知ぶり、ひいては指導力</p>

<p>のなさを思って嘆息を吐いた。</p>

<p><br />
　浅沼から上がってきた『急進派』を利用する案にうなずいたのは確かに自分だ。彼が若手幹部を中心にした</p>

<p>『急進派』の暴力的活動まで全てを報告していれば、肯定することはなかっただろう。そして、その恫喝、暴</p>

<p>力活動が明るみになり始め、今度は彼らを捕縛して、処分を下そう、と言ってきたのも、浅沼だった。そのと</p>

<p>きも、自分は周囲の人々の言葉を鵜呑みにし、浅沼の持ってきた情報をふるいにかけることはしなかった。</p>

<p><br />
「彼は、我々が情報操作をして、彼らを極秘に擁護していたことを、知っていたのではないか？」</p>

<p><br />
　浅沼は何も言わず、視線も合わせず、ただ流れ出る汗を握り締めたハンカチで拭っていた。</p>

<p><br />
　自らの労力を用いず、ただ認める言葉だけを吐き続けた自身の不徳。山崎は浅沼の取り乱した姿に、亡霊た</p>

<p>ちが抱いている狂気の全てを知った。</p>

<p><br />
　浅沼は、吉岡三佐を御し切れなかったのだろう。おそらくは彼らを利用しようと動いた我々上級幹部の後ろ</p>

<p>暗い側面を公表されることを恐れた。ゆえに浅沼は吉岡三佐を謀殺した。それも、自殺に見せかけて。</p>

<p><br />
　亡霊か。狂気か。いずれにせよ、来るべき断罪の使者が、想像していたよりも遥かに巨大な形で現れたのだ</p>

<p>。身を狂わす強烈な思いに突き動かされたのだとしても、自らの身で動き、自ら実行することを惜しまない『</p>

<p>急進派』幹部たちの姿が思い浮び、若さか、と山崎は息を吐いた。</p>

<p><br />
　筋肉は見る影もなく落ち、老いさらばえた身体と精神にも、そんな若さはあった。あのころの誠実さは、真</p>

<p>摯さは、いったいいつ失われたのか。山崎が再び重い嘆息を吐き出そうとした瞬間だった。背後で端末を預か</p>

<p>る幾人かのオペレーターの声が上がったのは。</p>

<p><br />
　異常を告げる声は次々と広がってゆく。猜疑に彩られたそれまでのざわめきとは明らかに違う動揺が、駄々</p>

<p>広い中央指揮所の空白を埋めてゆくのを感じた山崎は立ち上がり、浅沼の肩越しに見える光景に目をやった。</p>

<p><br />
　長卓には、国家の危機的状態に対応して召集された政府要人が顔を揃えているはずだった。だが今、武装集</p>

<p>団に公邸を襲撃され、人質に取られた安居首相を始めとして、警察庁長官や警備局長ら、警察側の代表者たち</p>

<p>の姿はなく、自衛隊側でも、自分と陸幕長以外、空、海幕長の姿も、その補佐官たちの姿もなかった。あるの</p>

<p>は内閣危機管理監を背に置いて動揺の色を隠せない官房長官、今井豊の姿ぐらいのもので、実質議場をまとめ</p>

<p>る位置に座るものがいない指揮所は、そもそも始めから事態の大きさに動揺していたとも言える。だがそれで</p>

<p>も、黙々と状況把握と情報整理に動いていたはずの周囲が騒ぎ出した理由は、明らかに異なるものだった。</p>

<p><br />
　山崎は視界に捕らえた若い官房長官が、壁埋め込み型の巨大なディスプレイを指さす仕草を見、背にしてい</p>

<p>たそのディスプレイに振り返ったとき、その事態の異常さを知った。</p>

<p><br />
「なんだあれは」</p>

<p><br />
「どうやって入り込んだ」</p>

<p><br />
「ウイルスか、ハッキングか」</p>

<p><br />
　さまざまな声が飛ぶ。どうやら巨大な画面に映し出されているものと、まったく同じものが周囲の端末でも</p>

<p>映し出されているらしく、動揺を呼び込んだ現象は、山崎の見ている前で、さらに動いて行った。</p>

<p><br />
　何者かによって作られた文字が、次々に打ち込まれてゆく。外界からのウイルスやハッキング行為による進</p>

<p>入には、絶対のプロテクトがかかっているはずのこの中央指揮所で起こっている光景が半ば信じられず、理解</p>

<p>できず、山崎を始めとした全ての人々が見守る前で、その文章は完結した。</p>

<p><br />
『米国からの報告は届いただろうか。それともいつものように秘匿されただろうか。国防総省にはすでに挨拶</p>

<p>を済ませてあるのだが。私はセティ。あらゆる紛争に裁定を下す者。踏みにじられそうになった日本の一等陸</p>

<p>尉の思いに共感し、協力を申し出た』</p>

<p><br />
「すぐに米大使館に確認しろ。すぐにだ！」</p>

<p><br />
　山崎と同じ部分まで読んだ誰かが叫んでいた。いや、あの慌てようからすれば、最後の一文まで読んだのか</p>

<p>もしれなかった。その先まで目をやったとき、山崎は手の先まで震え出す身体を抑えることはできなかった。</p>

<p><br />
『米国防総省、ならびに三軍の指揮所内全てのネットワークは、日本時間六時をもって麻痺状態になる。そう</p>

<p>なれば、私の指示で日本への攻撃も可能だ。解除する条件は、日本で今起こっている武装集団の意志が達成さ</p>

<p>れること。もしくは日本の一等陸尉のみが知る暗号の受信。それだけだ』</p>

<p><br />
　その一文で締めくくられた画面は、山崎が読み終わるタイミングを待っていたかのように消え、元々表示さ</p>

<p>れていた電子地図を浮かび上がらせた。</p>

<p><br />
　事実は分からない。この者が何者なのかも分からない。だがセキュリティレベルは米国防総省に劣らぬはず</p>

<p>のこの中央指揮所に易々と入り込み、メッセージを残した手腕から考えて、無視できる内容ではなかった。も</p>

<p>ちろん、その指示を鵜呑みにして、米軍からの攻撃が開始されるとは思わない。だが動揺が日米両部隊の足並</p>

<p>みを乱すならば、その状態が長く続くのならば、そしてその情報が他国に漏れるのならば。いくらでも行動を</p>

<p>起こす恐れのある国家が存在する。今、日本を取り巻く東アジア全域は、そういった緊張の中にあるのだ。自</p>

<p>国一国では防衛すらままならないこの国の現状を思い起こし、日本を中心にした軍事レベルでの国際情勢を思</p>

<p>い起こした山崎は、震え、悪寒すら感じ始めた身体を、崩れるように革張りの椅子に預けた。上質な素材で、</p>

<p>弾力性のある中綿を含んでいるはずの椅子が、この時は異常に硬く感じられた。<br />
　</p>

<p>　まさしく亡霊だった。吉岡三佐の目指した自国のみでの防衛構想に絡めたその手口。誰かに頼り、誰かが守</p>

<p>ってくれると信じ続けている我々への戒めの如き手口。それが今、彼らが山崎たちに、そしてこの国の喉元に</p>

<p>突きつけた刃の姿だった。</p>

<p><br />
　いや、亡霊どころではない。我々はとんでもない死に神を呼び寄せてしまった。自らの頭で行動し、熟考し</p>

<p>た上で判断を下す、その行為を半ば忘れていた自身の不徳を今一度思った山崎には、もう立ち上がる力すら残</p>

<p>っていなかった。</p>]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>３・２</title>
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    <id>tag:r-or-r.net,2010:/tukisaya//2.82</id>

    <published>2010-06-09T12:18:59Z</published>
    <updated>2010-06-09T12:46:02Z</updated>

    <summary>（......新藤一尉。君だったな） 　浅沼陸幕長と違う声は、落ち着いている、と...</summary>
    <author>
        <name>sethy</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://r-or-r.net/tukisaya/">
        <![CDATA[<p>（......新藤一尉。君だったな）</p>

<p><br />
　浅沼陸幕長と違う声は、落ち着いている、というよりはむしろ達観しているかのようだった。予想し続けたそのときが来たのだ、とでも言うような声は、統合幕僚長、山崎徳二の半ばくたびれた濃緑の制服姿をはっきりと新藤に見せた。</p>

<p><br />
「統幕長、私が証言する代わりに提示した条件は、『急進派』への温情。もちろん、暴力やそれを伴った犯罪に手を染めたものは裁かれなければならないが、その他、理想に付き従っただけの者たちについては、内々に鎮めることで、監視はつけてもいいが、原隊に本来どおりに従事させてくれることを提示したはずだ」</p>

<p><br />
　山崎は何も答えない。代わりのようにこちらが言おうとしていることを感じ取った浅沼が、何かを叫ぼうと喉を鳴らす音がヘッドセット越しに聞こえ始めた。新藤はすばやく続く言葉でその口を塞いだ。</p>

<p><br />
「では、なぜ吉岡は死んだ？」</p>

<p><br />
（彼が除隊したことは、彼の意思だったのだよ。私はそう聞いている）</p>

<p><br />
　陸海空、三自衛隊を統一的に運用するため、三自衛隊の幕僚長クラスで開かれていた統合幕僚会議に代わって常設された、統合幕僚監部の長。事実上、全自衛官の長である山崎の言葉には、裏も表もない、正真正銘の無知という無力が垣間見えた。新藤はこの計画に身を投じる以前から、気になり続けていた親友の死の真相、その核心部の扉をたった今、開いた思いだった。</p>

<p><br />
（あの男は、こちらの申し出に従わず、自ら除隊を申し出たのだ。自殺したことにまで我々が......）</p>

<p><br />
「違う」</p>

<p><br />
　小物が。喉元まで出かかった言葉を強い口調で吹き散らし、うわずった声を上げた浅沼陸幕長を黙らせる。功を焦り、功を欲張った、当時まだ陸幕副長であった小物の暴走。その上にいた統幕長がなにも知らなくても無理はない。「違うのだろう？」と重ねた言葉に返るのは浅沼の低いうなり声だけだった。</p>

<p><br />
　新藤は電子地図を見つめ続けていた視線を、左手首の腕時計に落とした。自分自身が伝えることは全て伝えきった。そろそろ頃合いと心得、ヘッドセットに手を当てる。マイクを口元に寄せ、武力蜂起した『急進派』の長としての言葉を吹き込んだ。</p>

<p><br />
「我々の目的は吉岡三佐の免罪。そしてその死の真実の公表と、彼の目指した自衛隊のみによる新しい防衛構想の実現。これだけ言えば、あなた方にはお分かりだろう。公表と免罪はあらゆるメディアを使用して行え。ネット、新聞、ラジオ、テレビによる報道、全てだ。猶予は今から六時間。本日朝の六時までに腹を決めろ。七時には全メディアを利用して公表を行う」</p>

<p><br />
（待ってくれ、一尉！）</p>

<p><br />
　瀕死の虫がのたうつ羽音のような、懇願する浅沼のかすれ声を聞き流し、日付の変わって間もない腕時計の針を確かめる。『同盟相手』が指示した０時五分まであと二分を確認した新藤は、やや早口になることを意識しつつも、通信を強引に締めくくることに努めた。</p>

<p><br />
「期限の六時に今一度こちらから連絡を入れる。そちらの意思を伝えろ。要求が達成されない場合は、人質とした安居首相の命はない。そして、この国そのものの命も」</p>

<p><br />
　またざわつく声が聞こえた。だが今度は先ほどの猜疑とは違う、意味も対象もまったく分からず、ただ周囲を見回す人々の声だった。今から分かる。そんな考えをそのまま言葉にして、新藤は通信を遮断するスイッチに手をかけた。</p>

<p><br />
「今から一分後、そちらに我々の協力者からの連絡が入る。我々が人質に取っているものが首相ひとりではないことを、あなた方は知るはずだ。以上」</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>３・１</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://r-or-r.net/tukisaya/ch3/post-39.html" />
    <id>tag:r-or-r.net,2010:/tukisaya//2.74</id>

    <published>2010-05-26T12:56:23Z</published>
    <updated>2010-05-26T13:17:41Z</updated>

    <summary>「なぜ我々が、市ヶ谷駐屯地だけを襲撃しなかったか、お分かりか」 　無線を介してい...</summary>
    <author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://r-or-r.net/tukisaya/">
        <![CDATA[<p>「なぜ我々が、市ヶ谷駐屯地だけを襲撃しなかったか、お分かりか」</p>

<p><br />
　無線を介しているはずなのに、相手の動揺が手に取るようだった。ざわつく幾人かの声が漏れるのを装着し</p>

<p>たヘッドセットに聞いた新藤は、相手方、自衛隊市ヶ谷駐屯地の地下に存在する中央指揮所に参集している政</p>

<p>府要人たちに向けて、武力蜂起した集団の首魁としての言葉を続けた。</p>

<p><br />
「我々がなぜ武力制圧という手段を取ったのか、正しく伝えるべき理由があるからだ。そこにいる何人かは、</p>

<p>すでに分かっていることとは思うが」</p>

<p><br />
（官房長官の今井です。新藤一等陸尉、私が代表して会話させていただきます。よろしいでしょうか）</p>

<p><br />
　弱々しく鼓膜を揺さぶった声に、新藤は思わず顔をしかめた。幾度かテレビ画面を通して見た、政治家とし</p>

<p>てはまだ若く、言葉の端々にいつも自分に非はない、あった事実を伝えているだけだ、という意味合いを覗か</p>

<p>せる優男の顔を思い出したからだ。</p>

<p><br />
「申し訳ないが、交渉の席には陸幕長と統合幕僚長に座っていただこう。そこにいるはずだ。彼らは襲ってい</p>

<p>ない」</p>

<p><br />
　また、ざわ、と相手方の動揺がはっきりと聞こえた。彼らは襲っていない、という言葉にいらぬ深読みをし</p>

<p>ているのだろう。我々が行動を起こしたその理由を、今の段階で動揺に動揺を重ねている彼らが聞いたとき、</p>

<p>一体どう思うのか。新藤は要らぬ疑問だ、と自身で思いながらも、頭の片隅にその姿を描いてみていた。</p>

<p><br />
（陸幕長の浅沼だ。新藤一尉、自分のしていることがわかっているのか）</p>

<p><br />
　高圧的な声が返ったのは、中央指揮所の混乱を新藤が想像した瞬間だった。幾度かは遠めに見たこともある</p>

<p>、濃緑の制服に身を包んだ初老の男が頭に浮び、一瞬無闇に高まりかけた感情を、新藤はどうにか抑え込んだ</p>

<p>。</p>

<p><br />
「よくわかっている。少なくとも、あなた方がしたことよりは人道的だ」</p>

<p><br />
（人道的だと？　武力蜂起して治安維持の主要施設を同時に襲い、挙句首相公邸にまで押し入って、安居首相</p>

<p>を人質に取ることの、どこが人道的だ！）</p>

<p><br />
　知った口を聞く。思わず吐き捨てた言葉は口にせず、新藤はヘッドセットのマイクに、変わらぬ冷静な言葉</p>

<p>を吹き込み続けた。</p>

<p><br />
「ああ。不快だというのならば、我々もあなた方も、十分に非人道的だ、とでも言おうか。自らの行いを棚に</p>

<p>上げさせるような真似は、今更させんぞ、陸幕長」</p>

<p><br />
　薄暗い声だ。自らの事ながら、腹の底から湧き上がった憎悪を、そのまま吐き出した声に驚き、そして改め</p>

<p>て断罪すべき相手の罪を思い、その犠牲になった友を思った。</p>

<p><br />
　電波ジャミングは今から五分前に停止していた。ようやく復帰した無線には、各班の状況が次々と飛び込ん</p>

<p>できていた。作戦は概ね成功。千代田区近隣の自衛隊駐屯地を襲撃し、車両や施設を一時的に無力化した班。</p>

<p>警察庁長官や警備局長、三自衛隊の海空幕僚長個人を直接襲撃、拘束した班。各班のサポートを行い、電波ジ</p>

<p>ャックやジャミングを行った班。総勢約百名の武力蜂起集団は、作戦決行から二時間、各所で確実な成果を上</p>

<p>げていた。唯一、警視庁舎を直接襲撃した班からだけは、未だに作戦成功の報告がなされていないのが気がか</p>

<p>りではあったが、作戦が第二段階の直接交渉に移った以上、警察機構だけでなく、その他あらゆる武力機関が</p>

<p>、自分たちには手を出せなくなるはずだった。</p>

<p><br />
　新藤はＧＰＳと連動した電子地図や、自分と仲間たちの現在の状況を逐次伝えてくれる作戦状況図などを映</p>

<p>し出す数台の端末に目をやる。先ほどまで自身も身を潜めていた四トントラックのコンテナの中に設置されて</p>

<p>いた機器を、そのままこの首相公邸の一室に持ち込み、簡易指揮所としていた新藤は、電波ジャミング機器の</p>

<p>停止と同時に、まだ浮き足立っているはずの日本国代表に、こちらから犯行声明としての通信を開いていた。</p>

<p><br />
（貴様、何を言っている！）</p>

<p><br />
　どうしてこの男は、ここまで自分を偽ることができるのか。こちらが言わんとしていることの意味を十分に</p>

<p>分かっているはずなのに、未だ自分は善良だと言い切る言葉を連ね続ける。新藤はやはり高まる異常な熱量を</p>

<p>抑えつけることに努めた。明かりは灯らず、数台の端末の青白い明かりが、そんな新藤の胸の内を浮き彫りに</p>

<p>するように、表情を薄青い光で照らす。</p>

<p><br />
「『急進派』の中心人物だった吉岡三佐を知らないとは言えないはずだ。自らの地位確立のために『急進派』</p>

<p>を利用したあなたと、統合幕僚長には」</p>

<p><br />
　ぐっ、と息を詰まらせる音が耳に届いていた。中央指揮所内は今、大きな猜疑心の中にわずかな無責任の好</p>

<p>奇を内包した視線が入り乱れ、それはすぐに二人の人物へと収束してゆく、そのはずだ。</p>

<p><br />
　この瞬間を待っていたのか、と新藤は自らに問う。その答えとばかりに頭の奥、自分の姿を借りた憎悪が、</p>

<p>黒くのっぺりとした影を立ち上がらせ、そうだと大きく頷いて見せる。これが今の姿なのか、と新たな自問が</p>

<p>浮ぶのと、異様な高揚感が全身を包み込むのは、ほぼ同時だった。高ぶりは新藤の口に相手の返答を待つこと</p>

<p>なく、さらに言葉を紡がせる。</p>

<p><br />
「省昇格はあなた方の悲願でもあった。行き過ぎた部分はあれど、『急進派』は利用できた。あなた方の障害</p>

<p>となり、制服組を圧迫し続ける昇格反対派の背広組を黙らせ、他省庁の官僚を黙らせるには。だから情報を操</p>

<p>作し、彼らの行動を黙認した。違うか？」</p>

<p><br />
　陸幕長、浅沼壮介の言葉は返らない。ただ動揺に揺さぶられる中央指揮所に詰めた人間たちのざわつく声だ</p>

<p>けが、しばらくの間流れ続けていた。</p>

<p><br />
「そうとは知らず、活動しやすくなったと感じた『急進派』の面々は、行動を激化させていった。他省庁や内</p>

<p>閣からも目を付けられ始め、手に負えなくなったあなた方は、『急進派』を鎮圧することで、省昇格後、自分</p>

<p>たちの地位をゆるぎないものにすることを思い付いた。無実の幹部に情報操作の濡れ衣を着せて除隊させると</p>

<p>、『急進派』の中心人物の特定にかかった。その時、証言したのが誰だったか。思い出せるか？」</p>]]>
        
    </content>
</entry>

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    <title>２・２５</title>
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    <published>2010-05-19T12:12:26Z</published>
    <updated>2010-05-19T12:58:24Z</updated>

    <summary>　瞬間、激しい発砲音が突然止んだ。弾が切れ、弾装を交換しているにしては、その音が...</summary>
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        <name>sethy</name>
        <uri>http://blog.goo.ne.jp/sethy</uri>
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        <![CDATA[<p>　瞬間、激しい発砲音が突然止んだ。弾が切れ、弾装を交換しているにしては、その音が響いて来ない。代わりに聞こえてきたのは、正面玄関方向から歩み寄る、底の厚い靴音、おそらくは陸自支給の戦闘靴の音だった。<br />
　</p>

<p>　悠然と歩く、その足音はひとつ。亮は昼、真冬の日差しの中で見た濃緑の制服と、その上で輝く硬い瞳を思い出し、胸から頭にかけて、得体の知れない熱が這い上がるのを感じた。</p>

<p><br />
　貴様が明をだましたのか。それとも明の意思なのか。答えろ、新藤。まだ一度も言葉を交わしたことはない一等陸尉にぶつけるべき言葉を口中に、タイミングを見計らった亮は、通路の影から一息に飛び出し、視線と一体化させた小銃の銃口を歩み寄る音に向けた。</p>

<p><br />
　底の厚い靴音が、近づいてくる。構えたこちらに応戦する銃を構えている歩哨二人の前に、割って入った足音の主と視線が絡まる。</p>

<p><br />
　瞬間、絶句した亮の銃口が、思いがけず下を向いた。</p>

<p><br />
　迷彩姿で武装した格好は、朝の制服姿とはまるで異なる。だがその背格好、所作、動き、鉄帽から延びる顎の形、そして向けられた銃口に動じるでもなく、ただこちらを見据えた瞳は紛れもなく、弟、明のものだった。</p>

<p><br />
　エントランスに差し込む月明かりと、わずかな非常灯の緑光を反射させて、鉄帽の下、こちらを見つめる明の瞳が、亮にははっきりと見えた。小銃が下ったのは、そこに現れたのが新藤ではなかったことではなく、明だったこと、という純粋な内容でもなく、その瞳の光に見据えられたからだった。</p>

<p><br />
　何も映していなかった。ただ光を反射させてこちらを見据える、深遠の闇へと至るような一対の洞。それはあの日、父の墓の前で月を見上げ、やりたいことがある、と語った弟の瞳、そのものだった。</p>

<p><br />
「なにしてるの！　撃って！」</p>

<p><br />
　背後で声が弾けた。それが有紀の声だと理解するまでに数秒を要したのではなかったか。半ばそちらを振り返り、視線から外れかけた弟の姿が、視界の端で立ち止まった。</p>

<p><br />
　徐に、弟の右腕が上がる。その手に鈍い銀色の輝きを見せる自動拳銃が握られていることが理解できたのは、奇跡に等しい。</p>

<p><br />
　おれだ。わからないのか。こぼれかけた亮の言葉を遮ったのは、視界に割り込んできた別の情報だった。</p>

<p><br />
　弟の姿が遮られ、それよりも近い位置に迷彩服が現れた。先ほど有紀が撃った相手が立ち上がったのだと分かる前に、亮は持ち上げられた迷彩服の手を見ていた。天井に向かって伸ばされた右手。その掌中に黒く穿たれた、色も見栄えも悪い果実のような物体を見た。</p>

<p><br />
　Ｍ６７破片手榴弾。そう認識する前に、亮の身体は条件反射で動いていた。下がりかけた銃口を持ち上げ、およそ五メートルしか離れていない相手の右肩を狙って引き金を引いた。三点バーストで発射された銃弾は、一秒の何分の一かの時間で着弾し、狙い通りに相手の肩を打ち抜く。もはや自らの身の安全を図るという、基本的行為すら忘れた、コンバット・ハイ症状下の迷彩服が、自爆覚悟のピンを抜き、信管に点火する前に、亮の銃弾はそれを制したはずだった。</p>

<p><br />
　だが、暗く、限られた光源しかなかった廊下では、全ての視覚情報を正しく得ることは難しい。男の手に握られた手榴弾のピンが、その右手の指に通されていたことまでは、亮には見切れなかった。</p>

<p><br />
　銃撃を受けた反動で、男の腕が大きく後方へ弾かれる。その瞬間、緩んだ掌から腐食した果実が飛び出し、何かを弾き飛ばしながら宙に舞った。それが外れた安全金具だとはわからなかった。亮は振り返り、有紀に覆いかぶさるようにして、床に身を投げ出した。</p>

<p><br />
　瞬間、轟音。暴力的な風圧と熱量が一気に開放され、色の悪い外皮と殺傷力を増すためにその内部に巻きつけられた鉄線を拡散させた手榴弾は、周囲十五メートルに死そのものを撒き散らした。同時に開放された爆発の熱量が、伏せた亮の頭の上を猛然と行き過ぎ、その背中に飛び散ったコンクリート片が降り注いだ。</p>

<p><br />
　幸い、手榴弾は弾き飛ばされた正面玄関側、エントランスの空中で炸裂したようで、爆風も破片も、ほとんどが二人のいた廊下側よりも、正面玄関側に向かっていた。大きな破片が降り注ぐことはなかったが、それでも圧倒的な衝撃波と熱量は、亮の背中に突き刺さるような痛みを残した。音と風圧、熱で自分がどちらを向いて倒れているのか、そもそも倒れているのか、それすら定かではない状況の中で、亮はなんとか熱量を感じる方向へ首を回した。</p>

<p><br />
　動揺する男たちの叫び声が、半ば正常に機能しなくなった耳に反響していた。エントランスから低くなった廊下側の天井付近で炸裂したらしい手榴弾は、その天井の一部を破壊し、内部の鉄骨までもひしゃげさせ、炸裂した周囲の天井を砕いて崩れさせ、その破片は廊下を塞いでいた。</p>

<p><br />
「怪我は、怪我はない、高宮巡査長！」</p>

<p><br />
　胸の下で響いた声は、鼓膜を通すよりも身体そのものを震動させてくれたので、男たちの声よりもよく聞こえた。言葉と共に這い出してきた有紀の瞳と向き合い、ああ、とどうにか頷いた亮は、とにかくこの場を離れなければならない状況を理解した。直線の通路は不幸中の幸いか、崩れた破片で通ることができないとはいえ、この場所に留まり続ければ、すぐに迷彩服が集まってくる。背中に走った痛みをこらえ、起き上がった亮はそのとき、改めて『爆発』という事実の意味を引き寄せた。</p>

<p><br />
　手榴弾は自分たちよりもむしろ前方、正面玄関側に飛んだのだ。そこには小銃を構えた二人の歩哨の姿があり、それより手前にはこちらに拳銃を向けた明の......</p>

<p><br />
「明！　おい、明！」</p>

<p><br />
　考えは途中で寸断した。恐るべき想像が最後まで正確な映像を見せようとし、必死で否定した亮は背中の痛みも忘れて叫んだ。一刻も早くこの場を離れなければ、と思った最前の思考は消え去り、亮の頭は弟の安否のみで埋め尽くされていた。有紀がなにかを叫びながら手を引いてくれなければ、その場を離れることはできなかっただろう。</p>

<p><br />
　有紀に引きずられて、亮は崩れた廊下とは反対方向へ歩き始めた。視界にはいつまでも、瓦礫と化した天井の構造材と、その向こうにいるはずの弟の、銃を構えた暗い瞳が映っていた。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>２・２４</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://r-or-r.net/tukisaya/ch2/post-37.html" />
    <id>tag:r-or-r.net,2010:/tukisaya//2.71</id>

    <published>2010-05-12T11:59:25Z</published>
    <updated>2010-05-12T12:57:22Z</updated>

    <summary>　非常階段の一階出口は、正面玄関にかなり近い位置だった。ただ問題は、その正面出口...</summary>
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        <![CDATA[<p>　非常階段の一階出口は、正面玄関にかなり近い位置だった。ただ問題は、その正面出口に至る道が一本しか</p>

<p>なく、無論のこと正面玄関には見張りを勤める迷彩服姿があったことだ。</p>

<p><br />
「......ひどい」</p>

<p><br />
　正面玄関の様子を窺った亮とは逆、警察庁側へ延びる廊下の奥の様子を探ろうと、通路の影から顔を出した</p>

<p>有紀が漏らした声だった。</p>

<p><br />
　廊下には数人の警察官が倒れている。制服、私服問わず、突然の襲撃にあった、といった感そのままに、た</p>

<p>いした抵抗もなく狙撃されている様子だった。制服警官が腰に装着した拳銃は、ホルスターから抜かれること</p>

<p>もなく、ためらった瞬間に撃たれた情景をありありと思い浮ばせた。</p>

<p><br />
　相手に迷いはない。それなりの覚悟を決めている。だからこそ、先に撃てる。亮はそういった相手の危険さ</p>

<p>を思い、一度大きく呼吸した。</p>

<p><br />
　犯罪者で厄介なのはこの手合いだ。自らの身に起こる現実に対する覚悟が、ある程度以上できている者。そ</p>

<p>うした者は動揺もしないし、行動そのものに迷いがない。必死の覚悟がある者ほど押さえにくいという点は、</p>

<p>亮が幼い頃から学んだ柔道を代表する武道にも共通する人の心理だった。</p>

<p><br />
　そんな人間たちが幾人いるのか。まだ敵の全体像が分からない状態では、本当にこの場を切り抜けられるの</p>

<p>か、その恐怖心が頭をもたげた。だが亮はその不安を、やらなければ、という思いで打ち消した。</p>

<p><br />
「おれたちがここを抜け出して連絡を取れれば、ここにいる人たちも、倒れているあいつらも、まだ助かるか</p>

<p>もしれない」</p>

<p><br />
　言って有紀がこちらを見る気配を背中に感じつつ、すでに振り返っていた亮は、「今は出ることだけを考え</p>

<p>るぞ」と自らにも言い聞かすつもりで言葉を締めくくった。</p>

<p><br />
　しかし、一体どうするか。出口に歩哨役で残った迷彩服は二人。いずれも先ほど遭遇した男と同じ装備をし</p>

<p>ているようだったが、警戒のみに注意を置いているので、隙がない。有紀と同時に相手を狙撃したとしても、</p>

<p>その発砲音で他の敵が集まってくるとも限らない。いや、その心配は当たり前と思っておくべきだった。</p>

<p><br />
　背中を壁に預け、様子を伺い見ることを一度中断した亮の思考は、こういった状況にいかに対応すべきか、</p>

<p>その方法を模索するために激しく動いていた。</p>

<p><br />
　相手までの距離は約二十メートル。一度に二人、しかも音を立てずに、この遠距離から無力化する方法がど</p>

<p>うしても思い浮ばず、亮がもう一度、身を潜めた通路の壁から顔を出した時だった。</p>

<p><br />
　正面玄関のエントランスへと至る広い廊下には、亮と有紀のいるような小さな廊下がいくつもあり、もう一</p>

<p>本、国家公安委員会や総務省を納めた合同庁舎二号館側へと通っている広い通路との横断を容易にしている。</p>

<p>その通路の一つから、亮と正面玄関の間に割り込むように、突如として別の迷彩服姿が現れた。</p>

<p><br />
　鉄帽を被った男の顔が、ゆっくりとこちらに向けられる。明かりが落ち、非常口灯の緑の明かりだけが目立</p>

<p>つ中では、暗すぎて見えぬはずの男の目、驚愕に変わるその表情までが、亮には見えたように思えた。</p>

<p><br />
「誰だ！」</p>

<p><br />
　上がった声に続いたのは、無闇な発砲音だった。現れた迷彩が手にした八十九式小銃が、暗闇に強烈過ぎる</p>

<p>銃火を瞬かせた。亮の隠れた通路の壁を穿ち、コンクリート片を撒き散らした音は、否応もなく周囲に響き渡</p>

<p>ったはずだ。</p>

<p><br />
　初めての実戦。つい先ほど、初めて人を撃ち、撃ち返されたのだ。もしかしたら仲間かもしれない、特定の</p>

<p>難しい夜間戦闘で、誰何と共に発砲した声の若さに、亮の脳裏を思いがけず弟の姿が駆け抜けた。</p>

<p><br />
　顔の間近を、場違いな芳香が通り過ぎたのはそのときだ。女性特有の甘い髪の香りは、どんな職業をしてい</p>

<p>ようとも変わらないのだと考えつくには、状況が逼迫しすぎていた。壁に背を預けた亮の前をすり抜けて、半</p>

<p>身を飛び出させた有紀が、発砲した迷彩に応射した。両手で保持したシグＰ２２０を目の高さに持ち上げ、反</p>

<p>動に対応できるように腰を少し落とした、手本と言っていい射撃姿勢で打ち出された弾丸は、相手を直撃した</p>

<p>ようだった。ぐわっ、とうめく声が自動拳銃の発砲音に続き、後は激しい銃撃の音に襲われることとなった。</p>

<p><br />
「ばかやろう、何で撃った！」</p>

<p><br />
　歩哨を務めていた二人の迷彩服がこちらに気付いたようだった。飛来する銃弾から身を避けさせるために、</p>

<p>すばやく有紀の腕を取って引き寄せた亮は、思わず怒鳴っていた。相手が明だったかもしれない。有紀の銃弾</p>

<p>がどこに当たったのか、すぐにでも確かめたかったが、出口に陣取った二人が、フルオートに切り換えた小銃</p>

<p>を廊下に向けて乱射している。顔を出そうものならば一瞬で、赤い液体を注入した水風船がはじけるように、</p>

<p>頭が原形を留めなくなることは目に見えていた。</p>

<p><br />
　本当に明ではないのだろうか。もし明ならば、今どこを怪我したのか。そのことばかりが頭に浮び、亮はた</p>

<p>った今、自らが怒鳴ったことはおろか、最前、有紀と自らに言って聞かせた言葉までも、半ば忘れていた。</p>

<p><br />
　ぱちん、とその頬に刺す様な痛みが弾けたのは、亮が怒鳴った直後だった。</p>

<p><br />
「何で撃たないのよ！　ここから出るんでしょう！」</p>

<p><br />
　肩で息をしている、自分より少し小さい背丈を見て、自分の頬を打った軽い衝撃が、有紀の平手だったこと</p>

<p>がわかった。後から染み出すように、熱となって広がる平手の痛みが、亮の思考に幕を張った弟への感情をひ</p>

<p>と時、完全に取り払った。</p>

<p><br />
「何が起こっているのか、確認しなければならない。ここにいる人たちも、助けなければならないのよ。弟の</p>

<p>ことを思うのは結構だけど、今すべきことを考えて！」</p>

<p><br />
　銃撃のすさまじい咆哮に負けぬように、有紀が怒鳴っていた。初めに会ったときからは考えられないような</p>

<p>感情の起伏を見せる有紀に、そういえばおれたち兄弟の話をするとき、爆発的な感情を見せるな、などと冷静</p>

<p>な観察をした亮は、一瞬後にはそのことも忘れて、有紀の言葉を真摯に受け止めた。</p>

<p><br />
　敵の中に弟がいないとも限らない。しかしそれだけを案じていては、突破はできない。自分たちと同じよう</p>

<p>に今、外部に連絡を取ろうと、この建物から脱出を試みている人間はどれほどいるだろうか。もしかしたら自</p>

<p>分たちだけかもしれない、という事実を重く受け止めた亮は、八十九式小銃を構え直した。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>２・２３</title>
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    <id>tag:r-or-r.net,2010:/tukisaya//2.69</id>

    <published>2010-05-05T13:38:25Z</published>
    <updated>2010-05-05T14:02:27Z</updated>

    <summary>　今倒れた警察官で何人目だろうか。自分の見える範囲では五人目までは覚えている。だ...</summary>
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        <name>sethy</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://r-or-r.net/tukisaya/">
        <![CDATA[<p>　今倒れた警察官で何人目だろうか。自分の見える範囲では五人目までは覚えている。だがその先は数えることを意識的にやめていた。嘔吐感に似た、食道から胃にかけての異様な圧迫感を覚え始めたからだった。</p>

<p><br />
「官邸内、全域クリア。公邸へ移ります」</p>

<p><br />
「よし。○二班が裏手を押さえている。対象を逃すな」</p>

<p><br />
　それが罪悪感と呼ばれるものだったのだろうか。腕時計に作戦開始から二十分経過した時間を確認した新藤には、わからなくなっていた。</p>

<p><br />
　幾度となく詫びてきた。自ら命を絶とうとも思った。だからこそ、あの存在すら確認できないテロリストの、協力するといった言葉に同調したのだろう。自分の思いを正義と認め、その正義を正しく示すための舞台を整えた、『裁定者』を名乗る犯罪者の言葉に。</p>

<p><br />
　だが『セティ』が与えた行動計画に沿って、一歩一歩計画が現実になってゆく度に、新藤は問いかけてくる声を内に聞いていた。本当に正しいのか。自分のやろうとしていることは間違ってはいないのか。なにより吉岡が生きていたとして、これを望むのか。食道から胃、胸の内奥から湧き上がる、嘔吐感に似た胸の詰まりを、新藤は正さねばならない無念がある、救われねばならない正義がある、と自答することで飲み下した気になってここまできた。</p>

<p><br />
　しかし今、新藤が抱えているそれは、これまでのものと同様とはいいがたい。遥かに重く、遥かに不快な、胸の詰まり。官邸の周囲を警備していた機動隊員たち、そして今、目の前に倒れ、未だ意識を残してかすかなうめき声を上げながらも、その身体の下に広がってゆく自らの血溜まりに沈んでゆく、見知らぬ若い首相官邸警備隊員。まだ建築されて片手で数えられる程度の年数しか経っていない首相官邸の床を赤く汚してゆくその血液の流れを踏みしめ、その身体を踏み越えて進む新藤は、戦闘状況を報告するため駆け寄ってきた仲間に指示を与えながらも、その思考は胸の不快感に再び同じ自答をすることに終始していた。</p>

<p><br />
　死に追い込まれた吉岡を思え。人の命を道端の塵同然に扱った人間の裏切りを思え。未だのさばり続ける奴らを思え。動き出した計画に動じて揺ぐ自らの決意を、他者への憎悪と、自らの不甲斐なさへの憎悪で押し黙らせた新藤は、一歩一歩足を進めた。再び時計に目を落とし、作戦開始からすでに二十五分を経過した現実に舌打ちした。</p>

<p><br />
　まずは目標を確実に捕らえること。自分の側からのアプローチは全てそこから始まる。後は『セティ』が用意した『切り札』と合わせて、作戦は第二段階へ進む。自分たちの第一次作戦の成功は、計画全体の絶対条件とも言えるのだ。</p>

<p><br />
　時間がかかりすぎている。非常脱出口から、すでに脱出されたのか。取り逃がしたとすれば、是が非でも追い、捕らえなければならない。最悪の事態も予測して、行動を立て始めた新藤に、二曹の階級を持つ若い陸士が近づいた。</p>

<p><br />
「目標、捕縛に成功。公邸内で拘束しています」</p>

<p><br />
　作戦が第二段階へ進む。ここからだ、と新藤はひとまずの安堵から緩みかけた表情を引き締め直した。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>２・２２</title>
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    <id>tag:r-or-r.net,2010:/tukisaya//2.68</id>

    <published>2010-04-28T10:29:46Z</published>
    <updated>2010-05-10T03:27:13Z</updated>

    <summary>　肩がけに通したストラップを外して小銃を取り上げる。腰に佩いた自動拳銃も取り上げ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://r-or-r.net/tukisaya/">
        <![CDATA[<p>　肩がけに通したストラップを外して小銃を取り上げる。腰に佩いた自動拳銃も取り上げ、背中に背負った背嚢の中をまさぐると、予備の銃弾が数セット見つかる。持てる限りを握り締めてダウンジャケットのポケットに突っ込んだ亮は、うつ伏せに倒れていた相手のズボンからベルトを外すと、その手を腰の後ろで縛り上げ、ベルトの端を階段の手すりに回して、固定した。<br />
　</p>

<p>　続けてその身体を仰向けにし、胸元や迷彩服の内側をさらに探ったのは、相手の素性を確かめるためだった。今自分が手にしている小銃が、八十九式小銃であることも、取り上げた黒い自動拳銃が、シグＰ２２０であることも分かり、その武装のすべてが、陸自で正式採用されているものであることは確かだったが、それでもさらに、相手の素性を調べる必要があった。本当に有紀たちが追っていた新藤とつながりがある者たちなのか。それを調べることは、すなわち、明がこの狂った状況の中にいるかどうかを確認することにつながっていた。</p>

<p><br />
「特に所属隊を証明するものは持っていないわね」</p>

<p><br />
　同じようにして迷彩服を調べていた有紀も、捜査官の声で言う。奇妙なほどに身分を証明しうる一切のものを持っていない男の口を、背嚢の中にあった救急品袋から取り出した包帯で縛ると、亮は自動拳銃を有紀に差し出した。</p>

<p><br />
「使い方は分かるな」と訊きながら、予備の弾装も差し出すと、有紀はそれを無言のまま受け取り、一度スライドを引いた。初弾が薬室に装填される音で、説明の必要がないことを伝えた有紀に頷き、亮は今更ながらここまでのことができている自分に驚いていた。</p>

<p><br />
　いかに特殊急襲隊に所属していようとも、実際に完全武装をした相手を目の前にしたのは初めてだった。新宿以前の事件でもバスジャックや立てこもりの現場に駆けつけたことはある。だがそれらは全て暴力団崩れか、世を儚んだ自分と同世代の暴走の結果でしかなく、完全武装、それも人を傷つける、無力化する技術をはっきりと持った相手を目の前にすることなど、あることではなかった。</p>

<p><br />
　ストラップを通して保持した小銃を握る右手が微かに震えていることに、自分で気付いたのもこのときだった。この扉を出れば、今のような奇襲を仕掛けられる幸運に恵まれる機会は、もうほとんどないだろう。運よく敵に会わずに建物を抜けられる、そんな浅はかな考えは捨てなければならない。倒れた男の武装と、そこから想像される元々属していた組織、陸上自衛隊、という存在を思ったときに、亮は本当にやれるのか、と自問していた。</p>

<p><br />
　相手の人数は不明。武装も、もしかしたらその役割に分かれて、この男以上の火力を有するものを持ち込んでいる恐れも十分にある。相手が何を目的にしているのか、それも分からない。なぜ警視庁を襲っているのか。考えてみたところで思い浮ぶことはなかった。ただそうして考えているうちに浮んできたのは、たったひとつのことだった。</p>

<p><br />
　今、亮にとっての現実は、この場で攻め込んできた暴徒に捕らえられたり、命を奪われたりするわけにはいかない、ということ。新宿の事件以降二ヶ月、目標も目的も持つことができずに、ただ生き続けて来た身体が、明確な目的を持って、行動をしようとしていた。</p>

<p><br />
　明を探し出し、問いたださなければならない。一体何をしているのか。お前も『急進派』とやらに加担しているのか。事実ならばやめさせなければならない。手遅れになる前に。底の知れない闇を内包し、幾度となく正面から向き合うことを避けてきた弟のあの瞳と、今度は向き合わなければならない。兄として。ほんの数十時間前に、生きていてもいいと、弟の言葉に救われた思いを抱いた兄として。</p>

<p><br />
　考えた瞬間に、右腕の震えは止まっていた。男ひとりを締め落としたその腕にはまだ、ダウンジャケット越しでありながら、相手の体温がはっきりと残っていた。運がよかった、と出し抜けにそんな言葉が浮んだのは、殺しも、殺されもしないですんだ、と思ったからかもしれない。</p>

<p><br />
「これはもらっておくべきね」</p>

<p><br />
　そんな言葉と共に、有紀が迷彩の腰から抜き取ったのは、小型の無線機だった。相手の事情を知るには最も効果的なものだ、と亮は何も言わずにそれを見送ると、迷彩の身体を起こして座らせ、背中の背骨の辺りに、若干強めに掌底を打ち込んだ。絞め落とした相手をそのままにすることは命に関わる。拘束し、満足に声も上げられなくなり、無線で仲間を呼ぶこともできなくすれば、命を取ろうなどとは考えなかった。</p>]]>
        
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    <title>２・２１</title>
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    <published>2010-04-21T10:23:54Z</published>
    <updated>2010-04-21T14:03:19Z</updated>

    <summary>　タタタンッ、と続いて三発の発射音が、先ほどまでよりも近くに聞こえた。機関銃では...</summary>
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        <![CDATA[<p>　タタタンッ、と続いて三発の発射音が、先ほどまでよりも近くに聞こえた。機関銃ではなくて、三発立て続けに発射できる、いわゆる三点バーストが可能な武装はなにか。再び身を起こして階段を下った亮が考えようとしたその思考を、有紀の言葉が完全に奪い去った。次の踊り場で再び階下を伺いながら有紀が近づいてくるのを待って、亮は聞き返した。</p>

<p><br />
「なんだって？」</p>

<p><br />
「どういう手段を使ったのかはまだ検証中。でも完全閉鎖型ネットワークの国防総省に潜り込み、あらゆるセキユリティを突破した上で、やつは同施設内で使われている全てのパソコンの画面に、メッセージを残していった。それが二日前に起こらなければ、その『セティ』と接触した痕跡をマル自班が見つけなければ、新藤一尉の居所を一時的につかめなくなっていた我々も、こんなに急いだりしなかった」</p>

<p><br />
　天才なのか、狂人なのか。その二つは事実紙一重だと聞くが、その言葉を裏付けるかのような行動だった。なんとメッセージを残したのか、薄々と分かる気はしたが、亮はそのメッセージの内容を促す視線を一度有紀に送った。</p>

<p><br />
「『日本で踏みにじられようとしている真実の正義がある。彼らの邪魔はしないことだ。彼らは立ち上がり、その正義を世界に示す』」</p>

<p><br />
「その正義とやらが、警視庁に突入しての銃撃戦か？」</p>

<p><br />
　非常階段は一階で終わっていた。『１Ｆ』と描かれた大きな鉄扉を眼前にして、終始続いていた発砲音が止んだことに気付いた亮は、しまった、と歯噛みした。音からしてかなりの銃撃戦が行われていた感があった。銃撃の混乱に紛れれば、建物の外へ出ることも容易ではないか、と考えていた亮には、銃撃戦が落ち着いてしまったことは、不謹慎ながらも好材料とは言えなかったのだ。</p>

<p><br />
　次にどう動くべきなのか。敵の位置はどこなのか。人数は。武装は。めまぐるしく動く思考はそのままに、鉄扉の中ほどに付けられたノブに亮は手を伸ばした。慎重に触れ、ゆっくりと外を伺って外へと出る。そのつもりで伸ばした手が、銀色に光る金属に触れかけた時だった。まだ握ってもいないドアノブの取っ手が突如として下方を向き、亮の身の丈を大きく越える鉄扉が、ゆっくりとこちら側へ押し開かれる気配が沸き起こった。</p>

<p><br />
　隠れる場所もなく、逃げ込む死角もない。またその時間もない、と一秒に満たない時間で判断した亮の動きはすばやかった。左の手で有紀の身体を階段の壁面に押し付けると、自身はわずかに開いた扉のドアノブを右手で勢いよく掴み、一息に開いた。</p>

<p><br />
　わずかに開いた扉に身を預けて、後はゆっくりと扉の向こうを伺いながら中に進入してゆく、屋内戦闘のセオリーを体現していただろう扉の向こうの相手は、自分の預けた体重に反して扉が突然大きく開いたことで、体重の置き場を失った。たたらを踏んで、大きく前のめりになる身体を支えることができず、かろうじて一歩、踏みとどまる足を大きく出し、転倒だけは回避した迷彩服姿を眼前にした亮は、その手をすばやく取ると、握っている肩がけのストラップを通した小銃の射線を意識しつつ、一息に身体を密着させた。</p>

<p><br />
　迷彩服の下に防弾性のアーマーを着けている、と判断したのは、知識に裏付けされたものではない、ほとんど直感的なものだった。アーマーの上、硬質となったみぞおちへ突き上げる膝蹴りを中断し、亮は相手の手を引いたその右腕を蛇のようにしならせると、鉄帽から延びる顎紐と迷彩服の襟の間......むき出しの首にその腕を絡みつかせた。</p>

<p><br />
　躊躇なく、一息に締め上げる。押さえつけるべき頚部の位置を心得た者だけができる、即効性を有した絞めの技術が、武装した男の意識をものの数秒で奪い去った。</p>

<p><br />
「......殺したの？」</p>

<p><br />
「まさか......」</p>

<p><br />
　拘束を解くと、迷彩服の身体はその場に崩れ落ちた。その直前、鉄扉が閉じてくれたことで、倒れる音は外部には漏れなかったはずだ。</p>

<p><br />
　気が付けば肩で息をしていた亮は、意識を失った相手の身体を探り始めた。</p>]]>
        
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    <title>２・２０</title>
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    <published>2010-04-14T12:21:07Z</published>
    <updated>2010-04-14T13:08:20Z</updated>

    <summary>　明は、その男と共にいた。一体何の目的で。新藤と言う男にだまされたのか、感化され...</summary>
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        <category term="ch2" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://r-or-r.net/tukisaya/">
        <![CDATA[<p>　明は、その男と共にいた。一体何の目的で。新藤と言う男にだまされたのか、感化されたのか。それとも......</p>

<p><br />
　亮の頭の中を、弟を思う多種の想像が渦巻き、あの墓で見た光景が何度も行き来した。だが、それもわずかな間で、階下から突き上げるように響いてくる爆音と震動が、亮の想像を打ち消した。</p>

<p><br />
　まだ有紀からは、弟の現状に関する事項は聞いてはいなかったが、とにかく、このままここに止まるのは危険だった。</p>

<p><br />
　今、ビルの正面玄関では、武装集団と警察官の衝突が始まっているはずだ。もし武装集団が勝ち残る形で事態が終息してしまえば、敵は階下からこの階にも上がってくるはずだった。そうなれば、自分もよくて身柄を拘束、悪ければ命にまで関わるかも知れない。<br />
　</p>

<p>　今はひとまず、相手の素性を確かめるのは後回しだ。そう断じて状況の確認を優先した亮は、確実に特殊急襲隊のそれに戻っていた。張り付いていた扉のドアノブに、ゆっくりと手を伸ばす。一切音を立てぬように開かれた扉の影から、明かりの消えた廊下を伺った。カーペット敷きの床に転々と非常口を表示する緑色の光が落ちている他は何もない。誰もいない、先刻と変わらない様子だった。<br />
　</p>

<p>　床に両手と両膝を付いて身を乗り出した体勢で振り返った亮は、有紀に視線を送った。いけるか？　と問うつもりで送った目を確かに受け取った有紀は、亮の背後に並ぶようにして従った。<br />
　</p>

<p>　部屋を出て左手に進めば、亮をこの階まで運んだエレベーターがある。が、階下の状況が分からない以上、逃げ場のない個室に乗り込むなど、自ら棺桶におさまるようなものだ。背後に従った有紀に「階段は？」とささやいたのはそのためだった。<br />
　</p>

<p>　ひとつ頷いて答えた有紀が、エレベーターへと向かうのとは逆の方向へ、身を屈めたまま歩き出した。有紀はスーツ姿ではあったが、すらりと伸びた長い足を際立たせるパンツスーツだったことに今更ながら気付き、その足に履いているのがパンプスやヒールではなく、黒のスニーカーであることに亮はひとまず安堵した。少し丈を長めにして隠すようにしていたが、明らかに動きやすさを重視したその姿ならば、行動を制限されることはなさそうだ。亮は有紀の背に続いて、同じく身を屈めるようにしながら階段へと向かった。<br />
　</p>

<p>　有紀が選んだのはもちろん常用の階段ではない。非常用、それも重い扉を開けた奥にある階段だった。ホテルなどで言えば、完全なバックヤードに位置するその階段は、普段からそう使われることはない。そうそう本庁に登庁することもない亮はもちろん使ったことのないルートだった。この階段を下って、どこに至るのか、知りうる限りの建物の間取り図を頭に描いて、状況の確認と、外部への脱出ルートを考えながら、同時に亮は階下から上がってくるかもしれない発砲音の主たちにも注意をするのも怠らない。中腰の姿勢は崩さず、亮は有紀の前に立つと、慎重に階段を下った。<br />
　</p>

<p>　始めこそ、信じられない、という衝撃に絶句していた有紀だったが、今は五感を総動員して状況の把握に努める捜査官の顔をしていた。何階か下ったときに見た有紀の、冷徹でさえある表情に、さすがは公安外事課、場慣れしている、と思った亮は、ふと先ほどの会話を思い出した。</p>

<p><br />
「何者なんだ」</p>

<p><br />
「え？」</p>

<p><br />
「その『セティ』ってやつだよ」</p>

<p><br />
　潜めた声、しかも移動は変わらずに続ける中で、亮は聞いていた。まだ弟に至る情報を少しも引き出せてはいなかったが、もう聞かねば気がすまない状況であり、なによりそう望む自分がそこにいた。</p>

<p><br />
「国際的テロリスト。それもＣＩＡやＭＩ６など主要な国々の情報機関から指名手配された本物の。でもその人物が、そもそも人間であるかどうかすら、我々を含めて世界の誰も、分かっていないのよ」</p>

<p><br />
「なに？」</p>

<p><br />
　意味が分からない。螺旋状に下ってゆく階段の、何度目かの踊り場で手すりに身を潜め、階下を伺う目は絶えず動かしながら、亮は問い返す声を上げた。</p>

<p><br />
　指名手配されている人物が、そもそも人間ではないかもしれない、などということがあるだろうか。それも国際的に、だ。世界各国の情報機関をもってして、そんな原初的な認定すらままならない相手が、果たして存在するのだろうか。</p>

<p><br />
「『セティ』は天才的なハッカーよ。さまざまな国の政府機関に進入しては情報を引き出し、時にはコンピュータに攻撃を仕掛ける。今まで何人ものハッカーが『セティ』と疑われて捕らえられたけど、結局どれも空振りだった」</p>

<p><br />
「ハッカー......」</p>

<p><br />
　身を起こした亮は、音を立てず一気に階段を下る。有紀は付かず離れず、また、亮の判断だけに追従することなく、自分で階下の様子を伺いながら下ってゆく。</p>

<p><br />
　ネットワークの普及により起こった現象は、なにも利便性の向上だけではない。そこに新たな犯罪の芽が現れるのも、事実であるし、現実だった。普及率が高まり、他国でも自国でも、軍事も政治も産業も、民間の交友さえもネットを介していないことを想像することすら難しくなった現在では、その犯罪もまた比例的に、飛躍的に上昇していることは間違いなかった。特に恐るべきことは、それ相応の知識と一台のパソコンがあれば、どこからでも、どこにでも襲撃を仕掛けることのできる不透明さ、そしてその不透明さを逆算して追いかけることの難しさだ。あらゆる方向に伸びている、まさに蜘蛛の巣のごときコンピュータネットワークを自由に回遊し、突如として浮き上がってくる目に見えない『敵』の姿を捉えることの難しさは、インフォメーション・ウォー、新たな戦争の形と定義した知識として、亮も頭にはあった。</p>

<p><br />
「それで、その『セティ』ってやつは何をやったんだ。先進各国の情報機関がテロリスト認定までして追いかけ回すなんて、尋常じゃあ......」</p>

<p><br />
「米国防総省へのハッキング」</p>]]>
        
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