つまるところ、そういうことだ
今日、仕事で作ったFlashは結構いい感じに仕上がって、
ちょっと時を置いて見ても(つまり家に帰ってきてから見直しても)、
ああ、うん、いい感じ。カッコイイじゃん。
って思えるものが出来たんだけれど、その後につくったバナーがヘボヘボだった。
理由は簡単で、言われてみれば「なるほど、その通り」と思うもので、
要はあんま考えずに作ってしまったから。
そういう考えなしに小手先で作ったものは、上司にすぐ見破られるのでアレです。
逆に思うんだけど、そういうのをうっかり作ってしまう僕の、なんていうか、
ナチュラルに考えない回路はいったいどうなってんだろう、って自分で疑問だったりする。
指摘されて気づく内容の多くは、「ああ、そりゃ上司も怒るわ」ってもので、
ちょっと考えればすぐに分かることで、それをまったく考えない僕に対して怒っているのであって、
つまりそういう感じでアレなんです。
でも、それって、ちょっと考えれば分かるし、
僕も指摘されてすぐ気づける、分かる、そのわりに、
てんで直らないっていうか、指摘されるまで気づかないとかが多くて、
その気づかないっぷりに最近、若干上司の方が呆れはじめてきてて、申し訳ないな、と思うのと同時に、
なんでまた、僕はこんなにも、アホなんだろうなぁ?って思うわけ。
例えば、物語を読んでいたり、映画を観ていたりすると、なんだろうな、
作り手回路みたいなものが最大限にひらいてて、この表現はなんだ!って
目を見開いていたりするんだな、これが。
でも、こと仕事で依頼されるものに関しては、ものの見事にその回路がひらかない。
その回路をひらけるかどうかは、本当に重要な問題だと自分では思うのだけど、ひらかない。
ひらいてくれない、とかちょっと距離を置く書き方するのはアレなんだけど、実感としてはそう。
僕のことですけど、あんまりコントロールできないのでそういう言い方になってしまう。
いや、書きながら理由はつかめていたりして、分かってはいたりするんだけど、
それを言葉にすることに抵抗があるんだけど、まあいいや、言っちゃおう。
興味がないんだろうな。
僕は、おそらく、仕事で関係するあらゆるものに、基本的に、興味が足りてないんだろう。
と、今日、この記事を書きながら、思った。
じゃあ興味を持てよ!ってな話になるんだろうけれど、それって、どうなん?
嗜好の問題なんじゃないの?って、そうやってあきらめるのはマズい?マズいよなぁ、そりゃあ。
興味を持てるようにするとか以前に、興味がないもの、っていうスタンスに入ろうとする僕がまずダメだなぁ。
今日の仕事なんか、グループ会社の仕事だったりとかして、それって、
もう、興味のきの字もありゃしないシロモノだから、そこで「考えろよ」と言われても、とか
思ってる自分に呆れてきちゃうなぁ。
それはそうかもしんないけど、それでも仕事なんですし、がんばろうよ、なんだよねぇ。
仕事自体は好きだけど、そこで扱われていることには特に興味ない。
これがどうやら、僕の基本的なノリっぽいんだけど、これでは未来が望めないので、
興味もつとかもたないとか以前に、考えるくせっていうか、流れをつかまないといけない、かも。
とか思いながら、小説をぼんやり書いてみると、
この小説のことを真剣に考える僕がいるわけで、
つまるところ「興味」だとか「モチベーション」だとかに、悲しくなるほど従順なんだなぁ、僕は。と思った。
あと無駄な頑固さも邪魔かもしれない。
自分の間違いを間違いと認識していないと、リアルにまったく直らない。
いかんなぁ。教えてもらっても、自分で認識してないと響いてないんよねぇ。参った。
人の助言を右から左じゃ、いろいろなくすぞ、僕よ。
うーん。どうしたらいいか悩み中です。
僕は何を伝えたいのか
むむ。
なんだこりゃ。
さきほど、リニュ作業に飽きて自分の書いたお話を読み返していたんだけど、
そのあまりのデキの悪さにびっくりしてしまった。
そこからさらにさかのぼって、BTDのラストあたりを読み返してみると、
同じようにアラが目立つ。
読みながら、こうしたほうがいい、ああしたほうがスマートにつながる、この表現おかしくない?
とか些細な変更点がゴロゴロ見つかってくる。
書いたお話は、ほんの一ヶ月ほど前に書いたもので、
アレから何がどう変わったわけではないし、文章力が上がったような出来事もない。
でも読み返してみると、何だか、すごい、違和感があるんだ。
例えば、読み返してて強烈に思ったのが、
ある文章の、あるパラグラフで、これはいったい何が言いたいんだろう、と首をかしげる。
それはつまり、ああなるほど、そのパラグラフで何を伝えたいかが明確でないからだな、とすぐに確信する。
僕のなかでの確固たるイメージがなければ、そりゃ伝えるもへったくれもないだろう、と納得する。
あるいは、その技術が圧倒的に足りてないのか、のどちらかだ。
こういうことを、読み返してみた、ものの30分足らずで気づくということに何だか妙な不思議さを覚えている。
ほんの一ヶ月前と何が変わったわけではないのだけどねぇ。
あ、でも、一つ、見当がつきそうなのは、僕の考えが重層的になったということかな。
デザイナーとして勉強をしていると、気づかされることが多いんだ、これが。
ていうか、きちんとデザインの勉強なんかしてきてないし、美大にもいってないし、
デッサンもレンダリングも知りません、配色もコントラストもよく分かってません、な人だから(今もそう)、
プロとして仕事をしていると、指摘されることが多いこと多いこと。
ていうか、端的に言うと、結構ぼこぼこに怒られるわけなんだ、僕みたいなもんは。
凹む。ぶっちゃけ凹む。でも、だからこそ成長もできているのかな、とは思えないでもない。
そのなかで最近、これはちょっと気づけたかもなぁ、と思っているのは、
「重層的な考え方」というか、もっと言えば、ある作品を見て、「何を伝えたいのか」が直感的に分かること。
これが自分のなかに落とし込めたように思う。
これは、先日の実感について考えたエントリとつながるんだけど、
まあ、要はこのことについて「実感」したわけなんだよね。
それでフガフガして先日はそういうエントリを書いた。
デザインって、すごく、そういう意味では分かりやすい、勉強しやすいと思う。
そういった「製作者の意図」みたいなものが、そこかしこにふんだんに取り入れられているから、
見てすぐに「ああ、この人はこういうことが表現したいんだな」って思うし、気づける。
で、今度は、表現者として、それをどう表現したらいいのかというのが問題なんだけれど、
そこはまあ、絶賛勉強中なところなので、あれこれ追求はしないんだけれど、
とりあえずそういった視点を持てたということ、そういうことを意識できるようになったということ、
そのへんが、何か、最近自分の身になってきたなぁ、とは思う。
その変化が、何だか、自分の小説論に何らかの波紋を起こしているかもしれない。
自分の書いた文章を見て、なんでこういう構成にしたのか分からない点が見える。
それは表現力の不足だったりするし、そもそも表現するチョイスを間違えてる場合もある。
ひどい例を出すけど、誰かが死んだ悲しい場面で、「陽気で爽やかな感じ」を表現してもアホじゃない。
だから、そのチョイスを間違えてる場合もある。
BTDの、ここ半年以内の文章ですらゴロゴロそれが見つかるということに、
恐ろしさとともに、希望も見えてきた感じがする。
何か、これ、ヤバいかもしんない。
僕は今まで、自分の文章力は一定のものをもっていて、
きちんと勝負できるだけの文章をコンスタンツに吐き出せていると思っていたんだけど、
こういうこと考えると全然ダメだったってことに気づいた。
何か、うん、小説を書くのが、またちょっと面白くなった気がする。
僕の文章は、まだまだこだわれるんだ。
ちょっと救われたような気持ちになった。
最近、自分の文章力については頭打ちのような感覚がしてたからね。
壁が抜けた気がする。
うん、面白くなってきた。
実感しなくちゃ、と思う実感
実感というものは、つくづく大事だな、と思う今日この頃。
知識で知っている、そんなこと言われなくても分かってる、
本で読んだし、話にも聞いてるし、さんざんそれについて考えてもきたから、大丈夫。
分かってる。
はずだったんだけど。
身にしみるほどに実感すると、その「本当さ」に寒気すら覚えてしまう。
分かっていた、そのはずだった。
でも分かっていなかった。こころの芯でとらえてはいなかった。きちんと消化してはいなかった。
例えて言うならば、タバコを吸って肺にいれてない感じなのかなぁ。
タバコって、肺にいれてナンボじゃない。肺にいれてないのは、フカしてるだけ。
タバコってものを本当に分かってない、想像でしか理解していない。
そういうことなのかなぁ。
それでタバコを分かった気でいるのはナンセンスだよなぁ。うーん。
ちょっと話ズレるけど、僕はタバコの描写の仕方が気になっています。
自分でつかう時はまったく意識しないのだけれど、人のを読む時はどうしてか気にしてしまう。
というか、気になっちゃうのかもしれません。なんか、ついつい目がいく。
何かさ。
タバコを日常的に吸っていない人のタバコの描写って、なんか、すごい、違和感があるんですよね。
タバコが単なる「アンニュイさ」の象徴にしかなっていない感じ、とでも言うのかな。
使いこなせてない感じが、プロ作家でも思う。
あ、この人きっとあんまタバコ吸う人じゃないのかな、とかふと思う。
お酒の使い方も、思えばそうか。
お酒飲まない人がバーでスコッチ飲んでる男の描写とか、無理があるのかも。
ああ、そうか。
それって、つまり、でも同じことなんだ。
ズレた話をしている自覚はあったのだけど、思えばあんまりズレてもいなかった。
僕は、「実感」の話をぼんやりと考えていた。
分かった気でいたことが、それをきちんと経験することで、言葉にならないほど理解されることがある。
タバコの描写も、きっときちんと理解がなされていない場合、ちょっと違和感が出ちゃうのかもしれない。
僕は、いまはタバコを辞めてしまっていて、まったく吸わなくなってからまもなく1年がたつけれど、
それまではだいたい二日で一箱ぐらいのペースでタバコを吸っていた。
だから、タバコを吸う人の気持ちが分かるし、どういうふうに扱うかも分かってる。
まあ、そういうわけなので、言語化できないレベルで、タバコの違和感に気がついてしまうのかもしれない。
なんてことを、ぼんやりと考える、日曜の夜。空気はひんやりとして心地いい。
僕はこんなことを考えながら、眠気がくるのを待っている。
進捗報告
READ or READのデザインが概ね決まる。
うん、いい感じだな、と思える結果に自分で満足する。
そんな午後。
出来たー、じゃあ公開ー!みんな見てくれー!
ってならないのはwebに限らずデザイン全般に言えるもの。
紙媒体であれば、これから印刷との戦いに出向かなくてはならない。
この場合webだから、そのデザインをあなたの見ているそのブラウザで見れるように、プログラムしなければならない。
これは骨のいる作業で、時には面白くない作業で、結構時間ばかりを食う作業だ。
今回はFlashもちょこっとだけ実装するし、その分の労力もいる。
でも間違ってはいけないけど、
webのデザイナーである限り、この部分に面白さを見出せないヤツはどうなのだろうと思う。
プログラムを組むことの面白さに、まったく一ミリも共感を見出せない人は、
webというか、ネットというか、端末という電脳空間の理解がきちんと追いついてきているのか、
単純に疑問だ。
そしておそらくは、webデザイナーという人種は、
一人として欠けることなく、みんな、そういったプログラムの部分も好みであろう。
業務としてメンドクサイと思うときはあるだろうし、専門のコーダーに丸投げしてることもあるだろう。
でも、プログラムで動いている事実を面白く感じているんじゃないかと、そう思うのだ。
僕は、webデザイナー。
ほぼ日で毎月壁紙公開です
ほぼ日刊イトイ新聞で、カレンダー兼壁紙が公開されています。
そこで、いくつか思うところがあったので、つらつらと書いて見ます。
[ ほぼ日刊イトイ新聞 - ほぼ日よろずダウンロード広場 ]
なんでしょうね。
難しいところだなぁ、と思ったんですよね。
ほぼ日のメインターゲット層は、あんまりネットリテラシーが高いほうの人ではないと思います。
簡単に言えば、あんまネットとかパソコンに詳しくない人、だと思っています。
いや、実際にどうかは知らないけれど、そういうふうに作られていると思うんですよね。
で、壁紙の設定の仕方などをさ、上記のサイトではきちんと説明してくれているんですが、
ここ、
壁紙にしたい画像のサムネイルをクリックしてください。
この一文、ぎりぎりかもしれない、とちょっと思ってしまいました。
いやさ。
「サムネイル」という単語、皆さん、ふつうに知っているんでしょうか。
僕はもちろん知っていますよ。thumbnail と書きます。
確かもともとは「親指の爪」って意味で、一般的には、画像をちっちゃくした見本のことです。
サムネイル画像、というと、それをクリックしたら大きくなりそうな気配のする、ちっちゃくされた見本です。
この「サムネイル」という単語、どれぐらいの人が知っているんでしょうか。
ネットに精通しちゃって数年経っている僕からすれば、それは日常用語すぎるのですが、
ふだんからネットを使う習慣のない方々に、どれぐらい浸透しているのでしょう?
他の例で言えば、「バナー」とかもネット用語度が高い気がしますね。
僕はもともとweb広告の仕事をしていたので、バナーと言ったら
468×60のアレですよね? スカイスクレイパーは120×600が標準ですよね、
とかふつうに思いますけど、バナーっていう単語そのものを知らない人も多いと思います。
簡単に言えば、バナーというのは、webの広告看板のことです。
Yahooの右とかにあるのもそうですね。Flashバナーです。
そこから主に、四角形の、何かをぐぐっと宣伝する広告はバナーと呼ばれています。
この「バナー」という単語、どれだけの人が知っているんでしょうか?
むっずかしいよなー、と思うんですよ。
最初のサムネイルにしたって、そうは言ってもサムネイル以外に言いようがないってのも事実だし、
何ていうの、他の言い方をすると、「雰囲気を損ねる」場合だってあるんです。
これはもう意味が分からなくたってサムネイルだ!っていう瞬間だって往々にしてあるんです。
そういうこと考えていくと、どの単語をどのように配置するか、っていうのは、
とても難しい、神経のいる作業なのかもしれないなぁ、などと。
画像の猫を壁紙にした僕が思ったわけです。




