last piece

「縛られる」ということは、決して不自由ではないのだと、知った。
「縛られる」ことで、より強く、より高く、飛べるのだと、知った。
あなたは縛られているだろうか。
それとも、縛っているだろうか。
ぼくは、自由だ。
Sorry, My borshch

ぼくは、料理人です。イタリアンとか、作れます。それなりに美味しいパスタを、提供したりします。
だれかが言います。
ぼくに言います。
「きみ、料理人だよね、ちょっとボルシチ食べたいんだ、作ってよ」
ボルシチは、ロシア料理だろうが。
それでも何とか勉強して、それっぽい、ボルシチっぽいものを作ります。
「ボルシチできました」
提供しますが、それを食べただれかさんはもちろん、よい顔をいたしません。
とうぜん、料理人にボルシチを頼むということは、クオリティの面も期待しているからです。
「うーん、あんまり美味しくないなぁ。ちょっと勉強して、もう一回作ってよ」
ぼくは閉口し、ボルシチを作ります。
たしかに料理。おなじ料理。
包丁の使い方は知っています。基本的な味の基礎はおさえています。
けれど、圧倒的に、知識がたりません。
イタリアンの知識だけでは、ボルシチは作れないのです。
でも、ぼくはいま、ボルシチを作る日々です。
ああ。
ぼくにできることは、狂わないよう、まわりを見ることです。
狂わないよう、おかしくならないよう、自分を、そして……、見ることです。
だいじょうぶ、こう見えて案外、げんきなんです。
ただ、こんなに寒い風が吹く夜は、少しばかり肩がふるえたりするものです。
温度のある言葉

こころの奥の、いちばん真ん中に、たいせつな人がいる。
それは例えば、恋人かもしれないし、両親かもしれないし、
飼っているペットかもしれなければ、大事にしている文房具だったりも
するだろう。
それがこころの奥の、いちばん真ん中で、静かにたたずんでいる。
何をするわけでもなければ、何を主張するわけでもない。
静かに、ほほ笑んで、ときに照れくさそうにはにかんで、そこにいる。
そういう人の言葉を、聴いていたい。
こころの奥の、いちばん真ん中に、「たいせつ」を置いた人。
そういう人の言葉はいつだって、まっすぐで、尊くて、あたたかい。
温度のこもった言葉は、どんなにありふれていても、どんなに使い古されていても、
ちゃんと、とどくのだ。
「ありがとう」
「がんばって」
「応援してる」
笑ってしまうほどにたくさん聞いてきた言葉だけれど、
温度があれば、それは、ちゃんと、とどくのだ。
そして、ぼくは、とどけたいと、願うのだ。
デューク | 引き算の極み
引き算の考え方、というものがあります。
デザインの話で言えば、
まず作ります。
そして、それを推敲していきます。
ああだこうだとうなり、ああでもない、こうでもない、としていきます。
その過程で、要らないものを、どんどんそぎ落としていくのです。
そうすると、必然的に、とてもシンプルなもののみが残ります。
無印良品であるとか。±0であるとか。60visionのD&DEPARTMENTであるとか。
まあ、いろんなデザインは、シンプルであり、余計なものがついていない状態になります。
これは、簡単に見えて、実はすごく難しいことだったりします。
ものを作るときに、ガタゴトとモノを付け加えていく「足し算」はよくします。
というか、基本です。
そうして作ったモノが、まーだ何か足りないなー、ピンとこないなー、とか言って、
ああだこうだ付け加えていくことも、たくさんします。
でも、そこで、一歩引いてみる視線、逆にこれは要らないんじゃないの、っていう感覚。
それを持つのは、並大抵のことではないのです。
思うに。
同じことが、物語においても言えるのではないか、と。
ふと思ったのです。
エピソードを追加していく。
描写を増やしていく。
キャラクターを増やしていく。
足し算です。
でも同様に、引き算もあるはずです。
エピソードを削る。
描写を削る。
キャラクターを削る。
シェイプアップされた文章は、元がどれだけの大長編であったとしても、
おそらくは20枚、せいぜい50枚程度のなかに、すべてが収まってしまうのではないでしょうか。
先日、江國香織さんの短編集「つめたいよるに」を立ち読みしました。
僕はこれをすでに持っていて、4、5回は読んでいると思うのですが、また読みました。
読みたかったのは、一番最初の物語、「デューク」。
僕はこの短編、いや、掌編を、世界最高の物語のひとつ、として捉えています。
たぶん20枚ぐらいなように思うのですが、この中に、幸せなことがたくさん詰まっているのです。
もし宜しければ、お時間のあるときに、ぶらりと本屋に立ち寄って、立ち読みしてみてください。
ほんの5分。
ほんの5分で、なぜ僕が「世界最高の物語のひとつ」などと言っているかが、理解できると思います。
もちろん、趣向に寄りますけどね。
僕の感性でいえば、本当に、「デューク」を超える物語っていうものが、世界にいくつあるのか分からないです。
それぐらい、好き。
で、話ちょっとズレましたけど、そういうことですよね。
あの枚数の中に、落とし込めるはずなんです。小説も。
ちょっと、考えてみたいよなぁ。
などと思いながら鼻歌を口ずさむ、心地よい天気の今日でありました。
その手がつかむもの
走っている、きみを見ていた。
笑っている、きみを見ていた。
ぼくはきみに会いたくて、手を伸ばした。
でもその手がつかむのは、空だけで。
…………
きみよ どこへ 消えた?
…………
たくさんの思い出があった。
いくつもの道を、一緒に歩いた。
ぼくはきみが好きだった。
この空の下、きみがどこかで、元気で暮らしている。
そのことを思うだけで、ぼくは前に進むことができた。
…………
きみよ どこへ 消えた?
…………
ぼくはいくつもの道を走り、いくつもの屋根を越え、きみをさがした。
あらゆる川を越え、あらゆる峠をくだり、きみをさがした。
走っているきみがみたかった。
笑っているきみがみたかった。
でもきみは
…………
でもきみは
…………
でもきみは
…………
ぼくは 空を見上げた。
意味はなかった。
でも、きみを見つけた。
きみは、空にいた。
あそこでもなく、ここでもなく、そっちでもなく。
きみは、空にいた。
…………
ぼくはきみに会いたくて、手を伸ばした。
その手がつかむのは、空だった。



