Twitterはじめました
仕方なくはじめました。ついったー。
[ @always_smart ]
だって!イトイさんがはじめたし!オイラ、イトイさんのツイート見たいし!かといってわざわざツイッターのホームページにいって見るのも面倒だなぁと思ったし!
いいじゃないか。今さらだけど。イトイさんと同時期にさ。iPhoneだって、ついこのあいだ変えたばっかだもん。こんだけ時間かかって。いいじゃないか。今さらとか。ぼく好きよ。今さらとか。ぼく好きよ。だいじなことなので三回言います。今さらららら。
じゃあ、よろしくお願いします。
サヨナラワガヤ

お引っ越し作業、すべて完了。引渡しも終え、この家に来ることはなくなりました。
長いようで短く、短いようで長かった4年間。越してきたのがつい先日のような気もするし、気が遠くなるほど昔のような気もする。
圧倒的に自由だったな。何をするにも、誰のことも気にかける必要なんてなかった。好きなだけ放置することが出来たし、あまりしなかったけど、好きなだけ掃除することだって出来た。
でも、圧倒的に、孤独でもあった。自由と孤独は等価だから、それは仕方が無いことだとは理解していたけれど、それでも夜風の冷たさに、ワケもなく涙がでるときもあった。
この部屋から見る夕焼けを、満月を、新宿の街を。ぼくは、ずっと忘れないとはとても言えないけど、でも、心に少しでも長くとどめておきたいから、だから、控えめにこう言おう、「ちょっとだけ浸らせて」。
自由と孤独のこの家から、ぼくは、旅立っていく。
願いよ届け

なんか、すごいな、今年は。
一昨年ぐらいの終わりに、いろいろなことが変わって、様々なことが起きて、目まぐるしいほどに人生に変化が起きて、ぼくは確か言ったと思うのだけれど、今年は「変」の年でした、いろんなことが変わり、ぼくのいろんなことが変わった年でした、と書いたけれど、それをはるかに凌駕するのではと思うぐらい、今年も「変」の年になりそうです。
思うのは、ここからぼくはどうするのか、ということと。
ここでぼくは、なにを思うのか、ということ。
書ききれないたくさんのことが変化していく。そのいくつかは、ぼくが望んで変化していくことで、それについてはワクワクもするけれど、そうでないいくつかは、ぼくの望まぬ変化で、正直なところ動揺している。
でもぼくは、前を向いて、ときには振り向きもして、周りのひとを大切に思いながら、暮らしていきたい。
どうか神様。
初詣でも祈ったし、どっかの神社でお参りした時にも願ったけれど。
ぼくのそばにいる数人の大切なひとを、守ってください。ぼくに、そのひとたちを幸せにさせてください。何が起きても大丈夫とは、とても言えないけれど、でも何が起きてもぼくは闘うから。どうか、神様。
祈りながら、くすぶるように布団のなかでまるくなる。夜が、ふける。
last piece

「縛られる」ということは、決して不自由ではないのだと、知った。
「縛られる」ことで、より強く、より高く、飛べるのだと、知った。
あなたは縛られているだろうか。
それとも、縛っているだろうか。
ぼくは、自由だ。
Sorry, My borshch

ぼくは、料理人です。イタリアンとか、作れます。それなりに美味しいパスタを、提供したりします。
だれかが言います。
ぼくに言います。
「きみ、料理人だよね、ちょっとボルシチ食べたいんだ、作ってよ」
ボルシチは、ロシア料理だろうが。
それでも何とか勉強して、それっぽい、ボルシチっぽいものを作ります。
「ボルシチできました」
提供しますが、それを食べただれかさんはもちろん、よい顔をいたしません。
とうぜん、料理人にボルシチを頼むということは、クオリティの面も期待しているからです。
「うーん、あんまり美味しくないなぁ。ちょっと勉強して、もう一回作ってよ」
ぼくは閉口し、ボルシチを作ります。
たしかに料理。おなじ料理。
包丁の使い方は知っています。基本的な味の基礎はおさえています。
けれど、圧倒的に、知識がたりません。
イタリアンの知識だけでは、ボルシチは作れないのです。
でも、ぼくはいま、ボルシチを作る日々です。
ああ。
ぼくにできることは、狂わないよう、まわりを見ることです。
狂わないよう、おかしくならないよう、自分を、そして……、見ることです。
だいじょうぶ、こう見えて案外、げんきなんです。
ただ、こんなに寒い風が吹く夜は、少しばかり肩がふるえたりするものです。





