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Masato Nakamura weblog

BUMP OF CHICKEN / 「R.I.P」

Posted on | 2月 15, 2010 | No Comments

R.I.P / BUMP OF CHICKEN

聴けば聴くほどに、沁みてくる。口ずさめばもう最後、想いがぽろりと目から落ちてくる。ああ、どうしてこの歌は、こんなにもきれいで、切なくて、それでいて力強く、叫ぶようにぼくのこころを揺さぶるのだろう。

先日、友人と男ふたりでカラオケとかいきまして(笑)

そこでぼくは、この歌を熱唱しまして、そうしたらどうしてか、歌いながら胸がきゅんきゅんしてしまいました。うわぁ、めっちゃいい曲やわー、めっちゃ刺さるわー、めっちゃ沁みるわー。そう思いながら、歌いました。

歌詞は、様々な映像を、まるで走馬灯のように、流れていく車窓の景色のように、フラッシュバックのように、確かな感情を届けてきます。それを追いかけながら、自分も長い時間を生きてきたことを知ります。

幼い頃。兄とケンカして泣くほど悔しかったこと。ひとりで集めたガンダムの消しゴム。泥にまみれても遊び続けたサッカー。届かないと知った高み。許せないとにぎった拳。はじめて出来た好きな人。伝えられなかった言葉。忘れてしまった友達の顔に、たくさんの思い出が重なっていく。

そこに、きみがいなかったこと。

そして、同じように長い時間を生きてきたきみに、確かで、かけがえのない思い出があること。たくさんの、共有できない、きみだけの時間があったこと。

そこに、ぼくがいなかったこと。

沁みる。今日も聴く。明日を想う。

「さくら / 西 加奈子」

Posted on | 2月 11, 2010 | No Comments

さくら 西 加奈子

それなりに物語を読んできているぼくですが、本当に好きな物語というのは、実は、両手で数えるほどもありません。その中のひとつが、これ、「さくら」、西 加奈子さんという方の本です。

4年ぐらい前に、一度読んでいました。そのときもたいそう気に入って、読み終わったときの興奮そのままに、ブログに書きつづった記憶があります。

ということで、探してみました。そのときの記事はこちら。

さくら / smartly_diary

ぼくは同じ本を何度も読む習慣はそこそこにありますが、この本は、あまり回数を重ねて読んだことがありません。というか、ここ数日で読み直したのですが、実はそれがはじめてです。それまでこの本は、本棚のなかでひっそりと佇んでいました。

とても、幸せな気持ちになれる本です。そして、とても悲しい気持ちにもなれる本です。でも最後、とても大きな、とてもかけがえのない、とても大切な涙を流せる本でもあります。

ぼくの手元にあるのは単行本です。いつだったか、どこかで文庫版を見たこともあるので、書店で西さんのコーナーにいけば、500円程度で手に入るのではないでしょうか。探してもいませんが、Amazonにもあると思います。

この本が、ぼくは大好きです。でも、なぜ、好きな物語と言えるほどに大切なお話であるはずのに、何度も読もうとしなかったのでしょうか。

答えは、実は簡単で。

この物語のなかで描かれている「幸せ」を、なるべく胸いっぱいに感じたかったから。

読めば読むほど、物語はぼくのなかに吸収され、落ち着いていき、よくもわるくも、消化されてしまいます。それが嫌で、ぼくはこの本を、何度も読み返そうとは思いませんでした。

このおやすみでぽっかりと時間が空いたのもあり、またいろいろな意味でこころが穏やかであったのもあり、今回、数年ぶりに読み返してみました。

いま、胸が、「幸せ」で満たされていくのを感じています。

なお、ここまで書いておいてなんですが、世間の評価ではいろいろ言われていますので、オススメとまでは言いません。ですが、ぼくが狙いたいゾーンの、かなり近いところにボールを放っていると思うので、ぼくの何かが好きな方には、オススメです。

お時間がありましたら、ぜひ。

last piece

Posted on | 2月 9, 2010 | No Comments

last piece of material

「縛られる」ということは、決して不自由ではないのだと、知った。
「縛られる」ことで、より強く、より高く、飛べるのだと、知った。

あなたは縛られているだろうか。
それとも、縛っているだろうか。

ぼくは、自由だ。

Sorry, My borshch

Posted on | 2月 5, 2010 | No Comments

Sorry, My borshch

ぼくは、料理人です。イタリアンとか、作れます。それなりに美味しいパスタを、提供したりします。

だれかが言います。
ぼくに言います。

「きみ、料理人だよね、ちょっとボルシチ食べたいんだ、作ってよ」

ボルシチは、ロシア料理だろうが。
それでも何とか勉強して、それっぽい、ボルシチっぽいものを作ります。

「ボルシチできました」

提供しますが、それを食べただれかさんはもちろん、よい顔をいたしません。
とうぜん、料理人にボルシチを頼むということは、クオリティの面も期待しているからです。

「うーん、あんまり美味しくないなぁ。ちょっと勉強して、もう一回作ってよ」

ぼくは閉口し、ボルシチを作ります。
たしかに料理。おなじ料理。
包丁の使い方は知っています。基本的な味の基礎はおさえています。
けれど、圧倒的に、知識がたりません。
イタリアンの知識だけでは、ボルシチは作れないのです。

でも、ぼくはいま、ボルシチを作る日々です。

ああ。

ぼくにできることは、狂わないよう、まわりを見ることです。
狂わないよう、おかしくならないよう、自分を、そして……、見ることです。

だいじょうぶ、こう見えて案外、げんきなんです。
ただ、こんなに寒い風が吹く夜は、少しばかり肩がふるえたりするものです。

温度のある言葉

Posted on | 2月 1, 2010 | No Comments

CENTER LINE

こころの奥の、いちばん真ん中に、たいせつな人がいる。

それは例えば、恋人かもしれないし、両親かもしれないし、
飼っているペットかもしれなければ、大事にしている文房具だったりも
するだろう。

それがこころの奥の、いちばん真ん中で、静かにたたずんでいる。

何をするわけでもなければ、何を主張するわけでもない。
静かに、ほほ笑んで、ときに照れくさそうにはにかんで、そこにいる。

そういう人の言葉を、聴いていたい。

こころの奥の、いちばん真ん中に、「たいせつ」を置いた人。
そういう人の言葉はいつだって、まっすぐで、尊くて、あたたかい。

温度のこもった言葉は、どんなにありふれていても、どんなに使い古されていても、
ちゃんと、とどくのだ。

「ありがとう」

「がんばって」

「応援してる」

笑ってしまうほどにたくさん聞いてきた言葉だけれど、
温度があれば、それは、ちゃんと、とどくのだ。

そして、ぼくは、とどけたいと、願うのだ。


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