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Masato Nakamura weblog

犬と猫と人間と

Posted on | 3月 8, 2010 | No Comments

映画「犬と猫と人間と」

そんなに、見に来ていただいている人は、多くはないけれど。それでもぼくには、ここへ足を運んでくれる人がいて、ぼくの言葉を、受け止めてくれる人がいて、そういった人たちに、ぼくは、何かしらの発信をすることができるから、だから、紹介します。

[ 映画「犬と猫と人間と ]

問題が多すぎて、わからなくなる。みんなの言っていることが正しくて、わからなくなる。
本当に正しいのは、なんだ。
だれだ。

2006年度。殺処分された犬や猫の頭数は、35万。保健所に引き取られ、そこでは譲渡もされてはいるけれど、その割合はたったの数パーセント。だからそう、90パーセント以上の動物は、人に、殺されるのだ。

そんな保健所や、動物愛護団体を追ったドキュメンタリー。個人制作だからこそ撮れたのだろうと思える、胸に迫る映像にこころがえぐられる。明日死ぬ命を、いや、数十分後には死ぬ命を、カメラは撮り続ける。動物を殺す機械をはじめてみた。鎮静器と名のついたそれに、どうしようもない怒りを感じた。

この映画は、とても重い。でも、とても誠実だ。

それはおそらく、この映画を撮った監督が、とても誠実な人であったからだろう。現実をきちんととらえ、まわりを撮り、過去を撮るからこそ、未来がぼんやりと見えてくる。監督の苦悩と冷静さと情熱と、憤りと叫びを映した映像のかずかずは、ただ真摯に、ただ温かく、ぼくたちに「本当」を教えてくれる。

目をそむけたい瞬間が、あった。
涙で見えなくなった瞬間も、あった。
でもぼくは、見て、良かった。

いくつか思うところはあるんだけど、そのなかの一つを、まあ、ちょっとピックアップすると。

ぼくはこれを見て、苦しくて、泣けて、どうしようもない気持ちになったけど、でもそうは言っても、実際のところ問題は大きいから、実はなにも出来ないかもしれない。現実を知ったところで、何が変わるわけでもないかもしれない。結局のところは無力、なのかもしれない。

でも、きっと、そうじゃない。

ぼくは、映画を見たのだ。このことを知ったのだ。そして、胸がえぐられたのだ。

忘れるかもしれない。映画を見て感じたこの思いも、記憶も、どうにもならない感情それ自体までも、いつか、人は忘れてしまえる生き物だから、そういう生き物だから、いつか、忘れてしまうかもしれない。

でもぼくは、叫べるはずなのだ。この映画でついた傷があるから、その痛みがあるかこそら、ぼくは、何かがあったとき、表現の場が、瞬間が訪れたとき。

少なくとも今は、それを信じて、その何かが起きるときを、待っていよう。何もしないのではなく、何ができるかを苦悩するのでもない。このことを表現する場や、機会は、いつかきっと来る。それはたとえば、こういったブログに書くとかそういったことかもしれないし、誰かとの会話かもしれない。

一人の感性に変化が起きれば、波紋は起き、また何人もの感性に変化を及ぼしていく。

それを信じ、まずはその表現の第一歩として、この映画のことを書きました。

どうか、あなたに、目をそむけたくなるけれど、でも、知ってほしい話を。
現在、渋谷で公開中です。

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