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Masato Nakamura weblog

僕は何を伝えたいのか

Posted on | 6月 4, 2009 | No Comments

むむ。

なんだこりゃ。

さきほど、リニュ作業に飽きて自分の書いたお話を読み返していたんだけど、
そのあまりのデキの悪さにびっくりしてしまった。
そこからさらにさかのぼって、BTDのラストあたりを読み返してみると、
同じようにアラが目立つ。
読みながら、こうしたほうがいい、ああしたほうがスマートにつながる、この表現おかしくない?
とか些細な変更点がゴロゴロ見つかってくる。

書いたお話は、ほんの一ヶ月ほど前に書いたもので、
アレから何がどう変わったわけではないし、文章力が上がったような出来事もない。
でも読み返してみると、何だか、すごい、違和感があるんだ。

例えば、読み返してて強烈に思ったのが、
ある文章の、あるパラグラフで、これはいったい何が言いたいんだろう、と首をかしげる。
それはつまり、ああなるほど、そのパラグラフで何を伝えたいかが明確でないからだな、とすぐに確信する。
僕のなかでの確固たるイメージがなければ、そりゃ伝えるもへったくれもないだろう、と納得する。
あるいは、その技術が圧倒的に足りてないのか、のどちらかだ。

こういうことを、読み返してみた、ものの30分足らずで気づくということに何だか妙な不思議さを覚えている。
ほんの一ヶ月前と何が変わったわけではないのだけどねぇ。
あ、でも、一つ、見当がつきそうなのは、僕の考えが重層的になったということかな。

デザイナーとして勉強をしていると、気づかされることが多いんだ、これが。
ていうか、きちんとデザインの勉強なんかしてきてないし、美大にもいってないし、
デッサンもレンダリングも知りません、配色もコントラストもよく分かってません、な人だから(今もそう)、
プロとして仕事をしていると、指摘されることが多いこと多いこと。
ていうか、端的に言うと、結構ぼこぼこに怒られるわけなんだ、僕みたいなもんは。
凹む。ぶっちゃけ凹む。でも、だからこそ成長もできているのかな、とは思えないでもない。

そのなかで最近、これはちょっと気づけたかもなぁ、と思っているのは、
「重層的な考え方」というか、もっと言えば、ある作品を見て、「何を伝えたいのか」が直感的に分かること。
これが自分のなかに落とし込めたように思う。
これは、先日の実感について考えたエントリとつながるんだけど、
まあ、要はこのことについて「実感」したわけなんだよね。
それでフガフガして先日はそういうエントリを書いた。

デザインって、すごく、そういう意味では分かりやすい、勉強しやすいと思う。
そういった「製作者の意図」みたいなものが、そこかしこにふんだんに取り入れられているから、
見てすぐに「ああ、この人はこういうことが表現したいんだな」って思うし、気づける。
で、今度は、表現者として、それをどう表現したらいいのかというのが問題なんだけれど、
そこはまあ、絶賛勉強中なところなので、あれこれ追求はしないんだけれど、
とりあえずそういった視点を持てたということ、そういうことを意識できるようになったということ、
そのへんが、何か、最近自分の身になってきたなぁ、とは思う。

その変化が、何だか、自分の小説論に何らかの波紋を起こしているかもしれない。
自分の書いた文章を見て、なんでこういう構成にしたのか分からない点が見える。
それは表現力の不足だったりするし、そもそも表現するチョイスを間違えてる場合もある。
ひどい例を出すけど、誰かが死んだ悲しい場面で、「陽気で爽やかな感じ」を表現してもアホじゃない。
だから、そのチョイスを間違えてる場合もある。
BTDの、ここ半年以内の文章ですらゴロゴロそれが見つかるということに、
恐ろしさとともに、希望も見えてきた感じがする。

何か、これ、ヤバいかもしんない。

僕は今まで、自分の文章力は一定のものをもっていて、
きちんと勝負できるだけの文章をコンスタンツに吐き出せていると思っていたんだけど、
こういうこと考えると全然ダメだったってことに気づいた。

何か、うん、小説を書くのが、またちょっと面白くなった気がする。
僕の文章は、まだまだこだわれるんだ。
ちょっと救われたような気持ちになった。
最近、自分の文章力については頭打ちのような感覚がしてたからね。
壁が抜けた気がする。
うん、面白くなってきた。

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